「アラサー世代の多様化するリアルな働き方」SDGs、ウェルビーイング…4名に取材してみた

働き方が多様化して、起業も以前より身近な選択肢に。なかでも一緒に働く人や社会、世界や地球の未来をよりよくするための事業を起ち上げた、〝ウェルビーイングな起業〟に注目が集まっています。社会問題の解決に取り組む女性のストーリーをお届けします。

萩生田 愛さん(AFRIKA ROSE創業者)

ケニアからバラを輸入。カーボンオフセットにも取り組む

「アラサー世代の多様化するリアルな働き方」SDGs、ウェルビーイング…4名に取材してみた

「リジェネラティブ」が新たなライフワークになっています

起業したのは、ケニアで出会ったバラの美しさや力強さに心から魅了され「このバラの可能性や魅力を一人でも多くの方に知ってもらいたい」という思いから。ビジネスとして成功させたいというより、「すごいバラを見つけた!」という右脳的な気持ちからでした。フェアトレードのケニアのバラを日本に届けると決めてから、一人でケニアに行ったり市場調査で花屋を回ったり、当時の会社の上司や先輩でビジネススクールを卒業した方々に事業について相談しました。最初の輸入は母が手伝ってくれ、成田空港まで車でバラを受け取りに。夜中に2500本のバラが届いた最初の感動を母と共有しました。
創業から無我夢中でやってきたのですが、出産を機に働き方について考え直すようになりました。スタッフは私を休ませてくれようとしたものの、産後1週間で戻らざるを得なくなってしまって。一人一人がウェルビーイングで働きやすい組織を意識して育ててきたつもりでしたが、自分が抜けると会社が機能しないことがわかり辛かったですね。命の次に大事にしていた仕事が子どもとの幸せな時間を邪魔するものに思えてくるほど追い詰められてしまったことも。
そこから専門家に経営に参加してもらい、2年かけて自立分散型組織に移行。同時に、今までは自分のテーマとして貧困解決、社会貢献、国際貢献に取り組んできましたが、次のテーマとして、今ある状態をよりよくして次世代に引き継いでいこうという「リジェネラティブ」という考え方に行き着き、それをいち早く実践している北欧で、人々のライフスタイルや社会制度を学びたいと思い、デンマークに4カ月間留学しました。
留学先ではサステナビリティを専攻、滞在中に「スローフラワー」という考え方にも出会い、自分の心も穏やかさを取り戻しました。自分が4カ月抜けても組織が回ったので、帰国後に代表を辞任。今は絵本のプロジェクトや今年起ち上げたスローフラワー協会の活動に力を注いでいます。スローフラワーは環境に配慮した季節の花を地産地消で楽しむという考え方。全国の耕作放棄地を活用して花を育てたり、土の中の微生物の多様性を増やし地球を再生する活動をしています。百年後、千年後、何が残るんだろうと考えた時、最終的に残るのは「人々が豊かで希望にあふれていてほしい」「すべての人、植物、動物がありのままで自分らしく輝いてほしい」というピュアな祈りなのかなと思っています。大きな目的、目標がなくても目の前の小さなこと一つ一つに祈りを込めて大切にしていきたいと思って仕事をしています。

萩生田 愛さん
’81年東京都生まれ。大学卒業後、大手製薬会社勤務を経てʼ11年にボランティアでケニアに渡航。’12年にケニアからのバラの輸入、オンライン販売を開始。’15年に広尾に路面店を、’19年に六本木ヒルズ内に店舗を出店。

岸畑聖月さん(With Midwife CEO・臨床助産師)

助産師のネットワークを作り、社会課題を解決したい

「働く」=「生きる」の時代。職場や地域のお母さんとして助産師を頼ってほしい

妊産婦の死因の1位は自死、虐待死の5割以上は新生児という事実を知っていますか?私は「生まれることのできなかった、たった一つの命でさえも取り残されない未来の実現」というミッションで助産師のスキルで社会課題を解決する事業を進めています。
起業の構想を考え始めたのは14、15歳の頃。病気で妊娠出産ができなくなり、自分が命を生み出せないのであれば命を生み出すことをサポートする産婦人科医になろうと考えました。その直後に、身近で起きたネグレクトで母親だけが責められていたのを見て「誰なら助けられたのか?」という問題意識が、産後うつや虐待などの社会課題に取り組みたいという想いになりました。病院で働いても行政でもあの女性をサポートできそうにない。だったらビジネスを作って社会課題を解決するしかない。「産婦人科医じゃない、助産師だ」とビビッときたんです。そこから助産師がどんな事業をしたら社会貢献できるのかをずっと考えていました。
病院で勤務しながら起業の勉強会やワークショップに参加。その中で「あなたの言っていることはビジネスになる」とLED関西(女性活躍を支援する行政サービス)を教えてもらい、ファイナリストに。普段出会うことができない企業がサポーターとなって、私の作りたいサービスのブラッシュアップや試験導入をさせていただき、事業を成長させていきました。
「助産師=出産の現場で働く人」と思っている人が大半だと思いますが、助産師になるには看護師資格が必要。多くの助産師はさらに保健師の資格も持っているので健康、子育て、地域医療をオールマイティーに解決できる医療従事者なんです。昔の助産師=産婆さんは出産、妊娠中のケアだけでなく、子育てのサポート、夫婦関係の仲介、学校での性教育で健康や命のことを伝える存在でした。
99%が病院出産となった現在では出産以外で助産師がサポートしていた部分が取り残されてしまっている。眠っているスキルがあるのに救われない命があるという現状を変えるために、助産師のポテンシャルを社会に出してライフラインとなり社会課題を解決したいという思いから、助産師ネットワークを作り、企業向けに社員の健康、妊娠出産、メンタルをサポートするプログラム「The CARE」を開始。助産師はかつて地域のお母ちゃん的存在でした。会社にそんなお母ちゃんがいれば孤独も解消されるし、困った時にSOSを出せる。「働く」と「生きる」がイコールの時代、企業が拡大家族として機能し、温かさや寄り添いを提供できれば、日本がすごくよくなるだろうと思っています。

岸畑聖月さん
ʼ91年香川県生まれ。香川大学で看護師・保健師資格を取得後、京都大学大学院医学研究科で助産学・経営学を学ぶ。’19年株式会社With Midwifeを創業。大学在学中にウエディング事業の起業も経験。

白木夏子さん(「HASUNA」CEO・武蔵野大学 アントレプレナーシップ学部教授)

エシカルな素材にこだわってジュエリー業界に変化を

学び、挑戦し続けることで世界がよくなるための循環を生み出したい

創業当初は一人起業、一人社員。当時は自分のスキル、知識を活かしたプロボノ(無償の社会貢献)が注目されていて、約60人のサポートスタッフに起業に関わっていただきました。会社起ち上げには自己資金のほか、個人投資家の方にも出資を募りました。投資会社で働いていたので100社アタックして1、2社が投資してもらえる世界と知っていたので、ひたすら想いを伝え続けました。その中で「社会にとってエシカルという理念は必要になってくる。絶対に社会から受け入れられる」と応援していただける方が見つかりました。
HASUNAは日本的な美しさ、普遍的な美しさを追求し、50年後に見ても美しいと思えるようなデザインがテーマ。ジュエリーの仕事は人の幸せ、笑顔につながっていることが実感でき、すごくやりがいを感じやすい仕事。作ったジュエリーを喜んでくださる方が目の前にいるのはとても幸せなことだと思っています。
私は本当に仕事が好きで、ずっと仕事のことを考えてしまうタイプだったのですが、長女の誕生を機にそんなライフスタイルも変化しました。次の変化は3年前の都心から郊外への移住。しっかり睡眠を取りメンテナンスの時間も取れるようになると、新しい事業など未来のことを考えられるようになりました。
私は学びは絶対止めてはいけないと思っているのですが、2年前に次女が生まれてしばらくは自分の学びの時間がなくなってしまって、アウトプットの質が変わったことに気づきました。そこからは意識してオーディブルを使った読書や、Voicyで情報収集をするように。特に学びが大きかったのは海外の大学のサステナビリティに関するビジネスのオンライン講座。大学で教える立場である以上、世界最先端の事例を知っておきたいですし、教える時の授業の質も変わってくるので、今すごく学んでいる気がします。
社会をよくするための起業を志す学生をサポートする大学の仕事はとても楽しいですね。起業家を育てることで、彼らの商品やサービスの先にいる人の生活もよくしていくといういい循環が生まれます。日本のジュエリーの素材や職人さんなどのサポートもやりたかったことの一つ。愛媛県の真珠や九州の赤珊瑚など、日本の素材で作ったジュエリーを世界に広めるなど、ジュエリーブランドとして新しい取り組みにどんどん挑戦していきたいと考えています。

白木夏子さん
ʼ81年鹿児島県生まれ。英ロンドン大学卒業後、国際機関、投資ファンドを経て’09年にエシカルジュエリーのブランド・HASUNAを設立。世界経済フォーラムが選ぶ日本の若手リーダーとして選出されるなど、世界的にも評価されている。

赤木円香さん(「MIHARU」CEO)

シニア世代をハッピーにするサービスが孫世代にとっての学びに

歳を重ねることがポジティブでカッコいいという社会変革を目指す

今の事業を始めたのは、憧れのおばあちゃんの存在がきっかけ。私に料理、裁縫、書道を教えてくれた大好きな祖母にこれから恩返しをしようという時に、怪我をして家にこもりがちになり、お手伝いすると「ごめんね」と言うようになってしまって。どうして、祖母のように感謝されるべき人が謝ってばかりいるんだろうと、悔しくてショックでした。
シニア世代をサポートする事業を一人で自宅で起業後、すぐにコロナ禍に突入。仕事もなく孤独で「元気で営業ができる人」がいないかと聞いて回ったところ、共同経営者の辰巳を紹介されました。辰巳は最高にシニアに気に入られる奇跡の人材。彼の「血縁関係がなくても最高の関係になれる」と信じる想いや「どんな人にも親切で対等であれ」という信念は、現在のシニアのお客様との深い信頼関係につながっていると思います。
とはいえ、シニアを狙う詐欺が横行する中で「若者がシニアのために何でもします!」と言うと怪しまれることも。トライ&エラーを重ねる中で「スマホの困りごとを解決する」という切り口を見つけ、自治体にアプローチ。昨年は年間約300回の自治体主催のスマホイベントを受託するまでに拡大しました。
加齢による変化があったとしても、できないことが増えてもポジティブに歳を重ねる「Age Well」が事業のテーマ。「今日も物忘れをしちゃったけど、若者にグーグルレンズを教わったからOK」といったふうに、若者との世代間交流を通じてシニアができるようになることを増やしてワクワクしてもらう経験ができれば、少しずつ歳の重ね方の意味合いも変わってくると考えています。
現場では学生を中心としたメンバー約30人による訪問サービスを提供。独居のシニアにとっては孫や子のような存在となったり、「早くお迎えが来ないか」が口癖だった方が、今ではメンバーの結婚式に参加するのが夢とおっしゃるようになったり。お客様と家族のような関係を築き、生きる希望を持っていただくことができるなど嬉しいエピソードが絶えません。私自身も創業して最初のお客様のところには今も週1回訪問していて、いやなことや大変なことがあってもドアを開けてもらった瞬間のお客様の笑顔ですべてが吹っ飛ぶくらい、いつも幸せをもらっています。
社会課題の解決はビジネスモデルから作り上げなければならないのですごく難しい。でも難しさをクリアした先には社会変革があると思っています。「ポジティブに歳を重ねる」と伝え続ける中で価値観や文化が変わり、制度も変わるはず。100歳で働くのが当たり前という社会を作りたい。そんな社会の一端になれれば、自分が生きた価値や会社でやる意味もあると思っています。

赤木円香さん
ʼ93年東京都生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。在学中、オレゴン大学への留学や、メディア運用やウェブ広告のインターンを経験。’17年大手食品会社に入社。’20年に株式会社MIHARUを創業。

撮影/渡邉力斗 取材/加藤みれい 再構成/Bravoworks.Inc

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最新号 202406月号

4月26日発売/
表紙モデル:山本美月

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