【web連載小説│毎週日曜よる9時配信】作・松井玲奈「ヨジョン」-第4話-

『CLASSY.』『VERY』『STORY』、それぞれの読者像を主人公にした、人気作家によるwebアンソロジー企画。テーマはエンタメやファッション、美容、そして文学など、私たちの心をつかんで離さない「韓国」。そこにまつわる、“今を生きる女性”を描きます。『CLASSY.』の第一回目は、松井玲奈さんの『ヨジョン』。毎週日曜日の夜9時に公開します。

 試着室を出たジウンがドレスの元へと小走りに近づいていくと、ミンジがラックにかかったドレスを整えているところだった。少し離れた場所から「すみません」と声をかけると、彼女は「走らないと言ったでしょ」とジウンを注意する。先ほどまでジウンを苦しめていた足の痛みが嘘のように、今は目的のために一秒でも早く前へ動かしたくてしょうがない。
「すみません。あの、『永遠の約束』のヒロインが着ていたようなドレスってありますか?」
「昔ドラマでチェ・ユギョンが着ていたやつ?」
「そうです、それです」
 ミンジは僅かに思考を巡らせたあと、随分古い作品だからなと言いながら奥の方へと歩いていく。それを追いかけながらジウンは言葉を続ける。
「先ほどの日本のお客様、ミズキ様が、それに似たドレスはないかと仰っていて。同じでなくてもいいです。袖がパフスリーブになっていて、レースの長袖が付いているようなもの、あった気がするんですが、ミンジさんに伺った方が確かかと思って」
 息継ぎもそこそこに言葉を連ねる彼女を見て、ミンジの唇の端がクッと上がった。ジウンは彼女がそんなふうに笑うのを見たのは初めてで、思わず自分の唇をキュッと窄めた。その表情を見てミンジが声をあげて笑った。
「やっと私の言ったことがわかった?」
「え?」
「頭じゃなくてまず体を動かすっていうこと」
 ジウンは言葉の意味を考えた。頭で考えていないわけではないが、確かにどうするべきかを深く悩むより前に「こうしたいのだ」と直感を信じて体が動いていた。
「今いらっしゃっている方の希望をできるだけ叶えたいと思ったんです」
「それはいい心がけ。でもあなたはいつも頭でっかちになって立ち止まってしまう。今みたいにまずは体を動かすことでわかることがあるでしょう? 目の前にいるお客様のために自分ができることを信じて疑わない。それが大切」
 ミンジはラックにかかったドレスを確認しながら、言葉を続ける。
「これだけは絶対に忘れてはいけないことだからね」
「はい」
「これはどう? 似てるんじゃない?」
 ミンジが取り出したドレスはパフスリーブの袖にレースの長袖が取り付けられた物だった。しかしスカート部分はボディラインが美しく出るパターンで作られたマーメイドドレス。
「少し違うかもしれません。あのドラマのヒロインが着ていたものは控えめなプリンセスラインのドレスでした」
「そうか……」
「こっちのドレスはどうでしょう?」
 ジウンが手にしたものは袖がパフスリーブになっているが、長袖ではないタイプのものだ。しかし、スカート部分はふんわりと広がるだけの布がある。胸元は縁を飾るように細かなビジューが控えめにあしらわれている。
「それがイメージに近いもの?」
「はい。本当はミンジさんが選んだもののように袖がある方がいいですが、これにロングのグローブをつけたらイメージに近づく……と思います」
「私もそのドラマを見たことがあるけど、はっきりとは覚えてないからな。けど、一番大事なのはご本人が納得すること。そのためにはまず着てもらいなさい」
「はい」
 ジウンはミンジの目を見てはっきりと返事をした。ここで働き始めてからこんなにもはっきりとした口調で答えたのは初めてだった。今、目の前にいるミンジの向けてくれるあたたかい眼差しが、自分は間違っていないことを教えてくれる。
 長いドレスを二着運ぶジウンの足取りはしっかりとしたものだった。一歩一歩確実に床を踏み締め、ミズキのためにドレスの裾が絶対に汚れないようにと細心の注意を払う。
「失礼します」
 声をかけて試着室に入ると、鏡越しに二人の目が合った。言葉を交わさずとも、自信に満ちた眼差しのジウンを見て、ミズキは自分の目当てのドレスが見つかったのだと確信したのだろう。
『あったんですね』
 ミズキの口から飛び出した言葉は日本語で、ジウンは一瞬何と言っているのかわからず反応が遅れたが、
「ご希望に近いものがありました」
 とだけ返した。みるみるミズキの表情が明るくなり、座っていた小さな椅子から腰をあげ、ドレス姿のままジウンのそばへと寄ってきた。
 ジウンは先ほど見つけたドレスを二着、試着室の壁に吊るす。一着はパフスリーブの袖付きマーメイドドレス。もう一着は、パフスリーブのプリンセスラインドレス。
「どちらがお好みですか?」
 ミズキは頬に手を当て、静かに自分の記憶を辿っていた。
「どちらもお似合いになると思います。ですが、まずはミズキ様が着てみたいと思う方を試着してみませんか?」
「じゃあ、マーメイドタイプじゃない方のドレスを着てみてもいいですか?」
 もちろんですと答えたジウンは、ミズキが今着ているドレスを脱がせ、新しいドレスの準備をする。自分もいいと思っているドレスを彼女が選んでくれたことが誇らしく、ドレスを着せる手もずいぶんスムーズに動くようになった。
「手」
 とミズキがポツリと呟いた。
「あったかいですね」
 ジウンは彼女に触れていた手を慌てて引っ込め、両手を恥ずかしそうに擦り合わせてみせる。
「すみません、さっきまでは冷たかったですか?」
「どうだったでしょう。ただ、今はとってもあったかい手だと思ったので。緊張が解れる気がします」
「緊張するとどうしても手が冷えてしまうんです。子供の頃からの癖みたいなもので」
「わかります。私も緊張すると手が冷たくなります」
 同じですね、と言ったミズキとジウンは鏡越しに微笑み合った。
「ジウンさんも緊張することがあるんですか?」
 ジウンはその質問に答えるべきか否か、一瞬だけ迷いを感じたが、冷たさのなくなった指先を見つめ口を開いた。
「お恥ずかしいですが、いつも緊張しているんです。お客様の大切な瞬間に立ち会うことへの緊張と、上手くできるだろうかという不安によく押しつぶされそうになっています」
「華やかに見えるお仕事でも、いろんな悩みがあるものですね」
 ジウンは新しいドレスをギュッと締めながらホックを一段ずつ確実にかけていく。
 プリンセスラインのドレスは着てみると、あまりにも全体にボリュームがありすぎて、ミズキの頭がちょこんとドレスに載っかっているように見えた。自分が選んだドレスが必ず彼女に似合うはずだと思っていたジウンは、気を取り直すように口角を引き上げる。
「いかがですか?」
 ミズキはパッとジウンの方を振り返り、
「私ってお姫様みたいなドレスが似合わないですね」
 と真っ直ぐジウンの目を見て言った。
 思ってもいない反応が返ってきたことに驚いたが、正直に言えばジウン自身もそう思っていた。
 ジウンの揺れる瞳を見つめるミズキは、ニコッと笑って「もう一着を着てもいいですか?」と壁に吊るされたままのマーメイドドレスを指差した。
 ミズキはドレスを脱がされながら「ジウンさんは嘘がつけない人ですね」とわずかに笑みをこぼして語る。
「自分自身、袖を通した時にあまり似合っていないかもと思っていたから、ジウンさんの表情を見て間違ってないなと思えました」
「大変申し訳ありません。こちらはお似合いになるといいのですが」
「いえ。安心しました。思っても口にしないのはジウンさんの優しさですよ」
 今度のドレスは気に入ってもらえるようにと、ジウンは祈るようにドレスを着付けていった。その不安とは裏腹に、袖を通したマーメイドドレスは彼女の体にしっくりとフィットし、クラシカルで聡明な女性が背筋を伸ばし鏡の中に立っていた。
「とてもよくお似合いです」
 今度は心から湧き出る感情があたたかい温度を持って言葉になる。
「そうですね。これならいいかもしれない」
 鏡を見つめるミズキの表情は柔らかな笑みを浮かべていて、とても穏やかなものだった。
「私もこれがいいと思います。本当によくお似合いです」
「ジウンさんも同じ気持ちでよかった」
 少しだけウエストラインを修正すると、ミズキのために作られたのではないかと思うほど体にピッタリのドレスになった。袖を通す瞬間、ジッパーを上げたりホックを止めたりする音、全てがクリアに耳に届いては、これがぴったりだということを教えてくれる。
 ミカドシルクのドレスはミズキをグッと大人っぽく見せているのに、自分の姿を何度も確認する彼女の顔は、まるで初めて特別なものを手にした子供のように輝いていた。

第5話に続く

作・松井玲奈

まつい・れな 1991年生まれ愛知県生まれ。2008年芸能界デビュー。俳優として活躍する一方、執筆活動にも取り組み、2019年『カモフラージュ』で作家デビュー。主な作品に『累々』『カット・イン/カット・アウト』『私だけの水槽』『ろうそくを吹き消す瞬間』など。現在、舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』にハーマイオニー・グレンジャー役で出演中。10月26日(月)よりNHK夜ドラ『青の花 器の森』に主演・馬場青子役で出演。

イラスト/深川 優