思い切って一度休むのも立派な選択肢!私たちの『逃げマネジメント』成功実例集

「私ってこのまま働き続けていいの?」がむしゃらに奔走する中、どこか違和感が…そんな時は、思い切って逃げることだって一つの選択。旅に出たり、学び直したり、休むことで自分を取り戻す、今しかできない「逃げ方」がある!リアルな成功実例集をご紹介します!

6年間働いたコンサルティング会社を、
次にやることを特に決めず退職しました

◼︎まこさん・29歳

\まこさんのキャリア年表/

22歳:コンサルティング会社に入社
毎日の「文化祭前日」状態が楽しくてバリバリ働く

【逃げマネジメントのきっかけ】
仕事に集中する中で、目の前のことしか見えなくなり、「ずっとこのまま働き続けることは可能なのか?」と疑問を持つ

29歳:特に先のことも決めずに自己都合で3カ月休職をし、その後退職
ラオスやベトナムでバックパックで旅を開始

現在:拠点を定めず、国内外で最低限の生活費を稼ぎながらバックパックで旅するなどをして過ごす

6年間勤めたコンサルティング会社を思い切って休職したのは、昨年の9月のこと。以前から感じていた、がむしゃらに働くことへの違和感に向き合いたくて決断しました。それまでは、平日週5日、まるでハムスターが回し車で走り続けるような日々。映画を観るのも、読む本を選ぶのも、通うジムすら「仕事に直結するか」が判断基準になっていて、生活のすべてが仕事中心。ふと「私が本当に好きなことってなんだろう?」と疑問を持ちました。競争社会の中で評価を得るために求められるものと、自分の好きをいつの間にか同一視していました。そこで、まずは1週間の有給を取ることに。しかし働くことへの違和感が消えなかったので、「休みが足りないのかな?」と思って、今度は念入りに計画して、2週間弱休みました。

それでも休みが足りなかったので、休職を申請。休職中は、日常を生きることに注力しました。何にも追われていないからこそ横断歩道の真ん中で立ち止まってみる、なんてこともできるように。時間に追われない生活を送ることで、ようやく「効率以外の基準で生きる」ことができた気がしました。現在は、生活することを優先し、働き方を一新。前職と比べると収入は減ったけれど、その分プレッシャーから解放されて、仕事自体を楽しめるようになりました。この冬は、3週間ほど東南アジアへ。ベトナムやラオスをバックパック一つで巡り、「観光」よりも「暮らす」感覚に重きを置いた日々でした。以前とは違う働き方で、自分らしく生きることができるようになりました。

逃げマネジメント中はこんなことをしてました!

ずっと興味があった登山やベトナムでの寝台列車移動に挑戦。同じような違和感を抱える同世代に向けて「休むという選択肢もある」と伝えるため、Instagram:@ochima_chanでも発信中。

なかなかとれていなかった家族との時間のおかげで、
仕事に求める環境がはっきりするように

◼︎H・Nさん・27歳

\H・Nさんのキャリア年表/

23歳:外資系メーカーに入社。1年半マーケティング、2年間人事として勤務
チームは上司と自分のみで、裁量も責任もすべて個人に委ねられていた

【逃げマネジメントのきっかけ】
頼れる人がいない環境での激務+マーケティングのキャリアを追い求めて、次の年度にマーケティングに戻れなかったら退職すると決意

27歳:結果、異動が叶わず退職を決断
約半年間、実家と湘南の2拠点で家族との時間を過ごしながら、転職活動を実施

現在:リモート&同世代の人たちとチームで働くことができるマーケティング会社に転職

繁忙期には朝9時の始業と同時に一日数十人の面接対応、その後は21時近くまで残りの事務作業を片付けるという日々が続き、肉体的・精神的に疲れを感じるように。他の部署で働く同期と違って一人で活動することが多く、さらに裁量権も責任もほぼすべて自分にあったため、相談できる人も少なく、チーム感がなかったことが悩みでした。外資系会社ならではなのか、2週間近く夏休みを取ったり、クリスマス前から冬休みに入る社員の姿を見ていたので、私自身も長期休暇とはいかずとも、休みは取っていた方だと思います。それでも、人事部での仕事に限界を感じており、異動もできなかったため退職を決意。

仕事を辞めることに対して不安がなかったのは、当時の職場の「ワークハード・プレイハード」な社風のおかげかもしれません。退職後は転職活動をしながら、週末になると別宅のある湘南に通い、海街暮らしを堪能。姉との二人旅行に加え、学生ぶりのスペイン語勉強、デザイン関係の本を読んだりと、とにかく自分の好きなことに費やす時間に充てました。自分自身や家族とゆっくり向き合えたことで心の余裕が生まれ、今後のライフプランに対しての考え方も変化。家族と過ごしたり、趣味を楽しむ時間をきちんと確保できるような働き方を望むようになりました。さらに前職で感じたチームとして働けるかどうかも転職活動での重要な条件にし、晴れてこの4月から念願のマーケティング会社で再スタートを切りました!

逃げマネジメント中はこんなことをしてました!

ひたすらPCに向き合っていた日々から解放され、真っ先に計画したのは大自然に触れる旅行でした!湘南の家では姉と一緒に大量の餃子を作り、家族みんなで餃子パーティ♪

仕事への向き合い方に行き詰まり、
ポートランドへ単身2カ月エスケープ

◼︎佐藤かな子さん・41歳

\佐藤かな子さんのキャリア年表/

21歳:大学生の時からライター業を開始
5誌の編集・ライターと2誌の立ち上げを経験

【逃げマネジメントのきっかけ】
消費的なものを作り続けているのではないか?と自分の仕事に疑問を抱き始め、新しい価値観や生き方に触れたいと思う

31歳:休暇も兼ねてアメリカ・ポートランドへ2カ月の旅へ
ポートランドでの生活を通して、自分の衣食住と仕事のつながりを意識するように

現在:仕事は量よりも質を重視。私生活の衣食住の向上を目指し、念願だった鎌倉へも移住

今思えば、20代の私は遊ぶことよりも仕事が第一優先。どんなことにも挑戦したい、自分の力を試したい時期でした。しかし、休みが少なかった上、結婚を考えていた彼まで疎遠になるという精神的ダメージの大きい出来事に見舞われ、不眠症に。求めていた日々なのに、どこか虚しさを感じるようになり、何よりも大事にしていたライター業から一度離れることに。ふと“海外に住んでみたい”と思いついて2カ月の休みを取り、単身ポートランドへ。アパートメントを予約し、ほぼノープランで飛び立ちましたが、毎日気持ちの赴くまま、絶景が待ち構える丘や橋まで自転車を走らせたり、美味しいコーヒーを嗜む日々が本当に幸せでした。当時の私は物質的な豊かさ一辺倒の仕事環境にも疲れていたんだと思います。

帰国後は自分が本当にやりたい仕事に絞り、質重視の働き方にシフト。忙しくても心身共に豊かな状態を安定させるべく、これまで疎かにしていたプライベートも充実させるようになりました。フリーランスの立場で仕事を休むことが怖くなかったと言えば嘘になりますが、それから10年以上が経った今でも楽しく熱意をもってライターとして働けているのは、あの時の決断があったからです。

逃げマネジメント中はこんなことをしてました!

自らアポを取ってライフスタイル誌「KINFOLK」編集部へ。「制作者が衣食住で豊かじゃないと、世にいいものは発信できない」という編集長の言葉は忘れられません。

ずっと憧れていた海外での生活、旅行で訪れた
豪州に魅了され、ワーホリを決断!

◼︎寺田凪紗さん・30歳

\寺田凪紗さんのキャリア年表/

22歳:アパレル業界に就職
学生時代に憧れていた留学が心残りのまま周りと同じく、会社員の道を選択職場にも恵まれ、仕事は順風満帆だったが日本の風土が苦手で海外での生活に憧れを持つ

【逃げマネジメントのきっかけ】
旅行で訪れたオーストラリアに魅了され、ワーホリへ行くことを決断

27歳:コロナ禍での延期もありながら、2年間ワーホリでオーストラリアへ移住
いつかフリーランスになって海外を拠点に仕事をしたいと思うように

現在:フリーで働くための勉強をしながら金融系の会社に勤務

大学生の頃は、就職するのが当たり前だと思っていたので、新卒でアパレル業界に進むことにも迷いはありませんでした。職場の環境には恵まれていましたが、残業が当たり前の空気や仕事中心の考え方に、次第に違和感を覚えるように。そんな時、旅行で訪れたオーストラリアに心を奪われ、ワーホリを決意。一度社会に出たことで、環境的にも経済的にも自立したからこそ踏み切れました。現地では直接自分を売り込んで職を得るスタイル。大好きなアパレルで2年間フルタイム勤務しました。働き方は想像以上にフランクで、残業なし、長期休暇も当たり前。誰もが無理せず働いていて、それまで「ちゃんとしなきゃ」と思い込んでいた肩の力が、ふっと抜けた気がしました。

日本で感じていた「みんなと同じであるべき」という固定観念が、少しずつ払拭されたのも大きな変化。今は旅をしながら働くスタイルを模索中。一生会社員でいる未来よりも、世界を旅しながらいろんな経験をしたいと思うようになりました。いつでも、どこでも働けるスキルを身につけたいと思えるようになったのも、ワーホリ経験があったから。海外の価値観に触れたことで、ライフスタイルやキャリアの選択肢が広がりました。

逃げマネジメント中はこんなことをしてました!

最初の1カ月はホームステイをしましたが、その後は自分で家探し。休日は現地の友達とカフェ巡りを楽しみました。Instagram:@ng0512

環境は変えたいけど、何をしたいかわからない目的を見つけるために、
大学院へ進学

◼︎東井みなみさん・27歳

\東井みなみさんのキャリア年表/

21歳:航空関係に就職、CAとして勤務

【逃げマネジメントのきっかけ】
コロナ禍で従来の業務が変化。さらに「言われたことを完璧にやる」ことが評価されることや上意下達の構造に疑問を感じる
転職を考えたが、具体的にやりたいことが見つからず断念

25歳:大学院へ進学。2年間主に経営について学ぶ
将来の起業に向けて、経験値を積むために転職活動を開始

現在:広告関係に転職、デジタルマーケティングの部署に従事

CAとして働きだしてから4年後、コロナ禍をきっかけに自分のキャリアを考え直すようになりました。やりがいを感じられず、何となく業務をこなしている自分に対して嫌気が差すように。最初は漠然と「転職しかない」と思っていましたが、やりたいことがないまま転職活動をするのは本末転倒だと感じ、以前から興味のあった経営やマーケティングを学ぶことに決めました。そこから、受験まで約2カ月。フライトの合間や滞在先で猛勉強し、早稲田大学の大学院に進学しました。さらに、勉強に集中するため退職も決意。こんなに学べるチャンスは二度と来ないかも…と思って、アルバイトもせずに過ごしました。

学校では、世代の異なる同級生の刺激も大きく、目指す方向がクリアに。「自分がどんなキャリアを築きたいか」に、ようやく向き合えました。2年越しに働き始めた今、毎月の給与が振り込まれることに感動を覚えるほど、働けることがうれしいです。在宅勤務やフレックス制度もある環境で、自分のペースで働く心地よさを痛感。大変なこともありますが、仕事のやりがいがプライベートの充実につながっていると感じています。あえて遠回りして良かったなと思います。

前職ではできなかったオン眉&カラーを存分に楽しみました!

◼︎田村有希さん・27歳

2022年、コロナ禍ということもあり海外には行けず、1カ月の転職インターバルは国内で過ごすことに。せっかくのまとまった時間だったので、ずっとやってみたかった髪色に挑戦しました。イラストレーターの渡邉香織さんに影響されて、人生で初めて髪を青に染めたり、オン眉にしました。営業職ではできなかったヘアスタイルを思い切り楽しめたのは、大学生以来。久しぶりに周りの目を気にせず、自分の好きを優先できたことで、自分らしさを見つめ直すきっかけになりました。

有給だけでは絶対に行けなかったアフリカへ一人旅

◼︎高井あまねさん・31歳

元々行ってみたかったチュニジアへ、転職インターバルの2週間で一人旅を決行。移動だけで20時間近くかかるので、有給では滞在時間が足りず断念していました。英語が通じず、アラビア語とフランス語が飛び交う土地での旅行には不安もあったけれど、「やりたい」と思ったことに挑戦した経験が、“自分で決めたことを正解にする”力に。新しいことへ挑戦するハードルが下がったことで、転職後の働き方や判断にも自信が持てるようになりました。

撮影/イマイハルカ 取材/小森香沙音、岸本真由子 編集/大島滉平 再構成/Bravoworks,Inc.
※CLASSY.2025年6月号「私たちの逃げマネジメント」より。
※掲載中の情報は誌面掲載時のものです。

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表紙モデル:梅澤美波

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