「女性が女性を嫌いになってしまう」理由を専門家に聞いて分析してみた

誰もが感じたことのある女友達に対するネガティブな感情や、モヤモヤした気持ち。それって女は嫉妬深い生き物だから?それとも私の性格が意地悪なせい?いいえ。どうやら、モヤモヤの正体はもっと別のところにありそうです。

これって私の性格の問題だと思っていたけれど…

女性が女性を嫌いになってしまう…身近なあるあるシチュエーション

女性たちは男性をめぐってライバル関係におかれている

“女の価値は、その女を選んだ男の持つパワーによって決まる〟。この仕組みがわかるとドロドロとして見える感情にも説明がつきます

「ミソジニー」は「女性嫌悪」や

「ミソジニー」は「女性嫌悪」や「女嫌い」と訳されますが、男性にとっては「女性蔑視」であり、女性にとっては「自己嫌悪」となります。男は「女でなくてよかった」、女は「女に生まれて損をした」という意識が根底にある、と言えばわかりやすいでしょうか。
ミソジニーを説明するには、社会における男性と女性の構造的立ち位置を知る必要があります。簡単に言うと「女性は男性に選ばれる受動的な存在である」ということです。私の著書『女ぎらい』でも取り上げた、英文学を専門にするジェンダー研究者、セジウィックの理論によると、この社会は男性を中心に成り立っていて、女性はその男性集団の正式なメンバーではありません。女性がその集団に参入するには、その中の男に選ばれて「妻の座」という指定席につく必要があります。そのような状況下で、女性は男性集団が与える指定席をめぐって潜在的なライバル関係におかれてしまうのです。

これってミソジニーのせい?CLASSY.世代のモヤモヤを解説!

女性に対するモヤモヤした感情のほとんどは「女は選ばれる存在であり潜在的にライバル関係にある」というミソジニーで説明がつきます。
モテている女性へのモヤモヤは、男に迎合しているライバルに対するミソジニー。「女の敵は女だと思ってしまう」というのも、男に選ばれる立場の女同士の、値踏みされている女性ならではのミソジニーですね。本当は女に勝手に序列をつける男が悪いのに、分断された仕組みの中におかれた女同士がライバル意識を持たせられているのです。

女の幸せは男次第ではない時代。女の友情?もちろん成り立ちます

今では女同士の友情を描く物語も増え、セックスを伴わない男女の友情を書いた作品も出てきています。それは、女性たちが「自分が主人公として生き、自分の幸せは男に依存しなくても叶えられる」と思えるようになってきたからではないでしょうか。 CLASSY.が掲げている「オシャレも人生も『自分で選ぶ』」というメッセージもそうですよね。
「女同士の友情は希薄だ」「女の敵は女」「女は嫉妬深い生き物だ」と刷り込まれてきたのは、女性を分断したほうが男性が女性を支配しやすかったから。男性は女性同士が結びつくことを怖がります。女の友情は希薄だなんていうことはありませんし、女のミソジニーは社会の構造が生んだもの。女は本質的に嫉妬深い生き物ではないとわかった以上は、女同士は争う運命なのだと諦めなくてもいいのです。

〝女嫌い=ミソジニー〟の正体がわかる本

「ミソジニーについてもっと知りたい!」と思ったら読んでみてほしい5冊を社会学者・上野千鶴子さん、漫画家・瀧波ユカリさん、作家・山内マリコさんに教えてもらいました。

女性にとってのミソジニーとは〝自己嫌悪〟。脱却することで、生きやすくなるはず

自分の中にある「女嫌い」に向き合い、作品やSNSを通じて発信されている瀧波ユカリさんと山内マリコさん。どうやってミソジニーを乗り越えたの?女友達と仲良くするヒントは?ミソジニーをテーマに語っていただきました。

女友達とギクシャクした学生時代、今ならその理由がわかる

山内:中学生の時、男子と喋っていただけで女の先輩たちに「男たらし」と目をつけられて傷ついた経験があって。それ以来、自分は女子に嫌われるタイプだと思い込むようになりました。つねに「女のコに嫌われないようにしなきゃ」と怯えているから、女友達にうまく心を開けなくて。中学生くらいになると恋愛感情も絡まって、男子を意識することで女のコ同士が引き裂かれていくんですよね。
瀧波:私の場合、学生時代の女友達とはいつも同じパターンでギクシャクしていました。成績が良くて真面目な家庭で育ったコが多かったのですが、「もっとオシャレすればいいじゃん」みたいなことを言ってしまう私と、チャラついている私に苦言を呈す彼女、と。ミソジニーを理解した今は「女性は選ばれなければ」という価値観が自分の中にあって、相手にも「女性は貞淑であるべき」という価値観があったのかもしれないと思います。お互い「女はこうあるべき」というものに縛られていたんじゃないかな。

自分の中にあったミソジニーを自覚した瞬間

瀧波:若い頃の私は「男ウケのいい可愛い服を着る女子」=モテだけを意識して服を選んでいると決めつけていて、どこか見下しているところがあったのですが、ある時「そういうファッションが好きで着ているコもいる。それにモテで服を選ぶのも悪いことじゃない」と指摘されて。確かにその通りだと思い、自分のミソジニーに気づいてゾッとしました。そこから過去を振り返り、頭の中で修正作業が始まりました。本を読んだりしていろんなことがわかってくると、女同士で自分 たちの中にある女性蔑視がぶつかり合っている構造が見えてきたんです。

山内:私の場合は20代後半になって「若い女のコ」というティアラが奪われる気持ちを味わい、自分の価値は年齢だったのか?と疑問を抱き始めました。そんな頃に出会ったのが上野千鶴子さんの『女ぎらい』。自分が直面している混乱が完璧に理論化されていました。女子全員が男性から「選ばれる」という受け身な存在である以上、友情も「女らしさをめぐる覇権ゲーム」となり、ねじれて、分断させられてしまう。「そういうことだったのか!」と腑に落ちました。

女性をミソジニーで嫌うと結局、自分が一番疲れてしまう

瀧波:嫌な女子がいたら、個人として嫌えばいい。大切なのは「女だから」という枠で相手を見ないこと。それが難しいのだけれど、そのほうがずっと楽。「アイツ男の目ばっかり気にしやがって。女ってやつはこうだから…」と当てはめると、結局、自分自身のことも見下すことになっちゃう。
山内:女性にとってのミソジニーは自己嫌悪になって刃が自分に向く。他の女性へのネガティブな感情も結局は自分にはね返って自分が傷つくだけなんです。

イラスト/Erika Skelton 取材/加藤みれい 再構成/Bravoworks.Inc

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