ある日、「フリマアプリでお前のサイン本が売られているぞ」と、友人から連絡を貰った。言われなければ気付かないのだからそっとしておいてくれればいいのに、どうしてわざわざ本人に伝えるのか。もう友人として接するのはやめようと思いながら該当のアプリを開くと、辛辣な現実が待ち受けていた。
二千円。定価は一五四〇円だから、四六〇円の上乗せ。あなたのサインの価値は五〇〇円もないですよと、対岸からバカにされた気がした。そして、あることを思い出した。
大学時代、新宿中央公園で開かれたフリーマーケットに参加したことがある。一緒に参加した友人は、学内に一人はいると思われる「オシャレ番長」の名をほしいままにしている男だった。当日、番長は大きなスーツケースとドラムバッグを提げて現れた。とにかく日差しが強い日だった。大荷物を抱えた番長は、オシャレなんてクソくらえといった形相をしていた。
前に自慢していたパリコレ出展ブランドのシャツが、壮大な汗ジミを見せていた。そのシルエットが泣いている人の顔に見えて、私はこっそり笑った。
受付を済ませると、既定の位置にシートを広げ、商品を並べる。持ってきたアイテムは番長のほうが二倍近く多くて、必然的に私はスペースの隅に追いやられた。
「これ、見てよ」番長は黒のジャケットを広げた。なんてことのない、普通のジャケットに見えた。というか、さっき通ったZARAで同じものを見た気がした。しかし、わざわざ番長が見せてきたのだから、きっとこれは値打ちのあるものだろう。私はすかさず値段を尋ねた。
「これね、十五万」無知を恨んだ。どこから見れば十五万円になるのか、さっぱりわからなかった。
友人はサインペンを握ると、値札の代わりとなるメモ帳に『五万円』と書いて「即決でしょ」と言った。
フリーマーケットで、五万円。フリマ初心者の私にはその価格の価値がさっぱりわからなかった。友人は、原価のわずか三分の一の価格でそのジャケットが買えることは奇跡のようなものだと私に説いた。ではすぐに売れるのだろうと私も思った。五万円が手に入る瞬間を二人で妄想しながら、その時が来るのを待った。五時間後。
ジャケットは見事に売れ残っていた。ほかのものはそこそこな勢いで捌けたのに、あのジャケットだけは呪われたように手に取る人が現れない。「これは商品ではありません」とでも書かれているのではないか。
フリマの終了時刻が近づいてきていた。私は彼に、値引きを提案した。モノの価値は売り手だけで決められるものではないのだと説いた。西日に照らされた彼の目は、血走っていた。そのとき、私たちの前に白髪の女性が立ち止まった。曲がった腰を支えるように、キャスターが付いたカバンを杖代わりに押していた。
ふと、女性が例のジャケットを指差して言った。「高いのよ」「いや、でもこれ、元値が十五万円なんですよ」「八〇〇円なら買ったわ」「いや、それはさすがに」
番長の笑顔が、引きつっていた。白髪の女性は「これが十五万円なわけないじゃない」と続けた。いたたまれず、私は足元のアリを観察していた。アリはとても呑気に歩いていた。
結局そのジャケットは、六五〇円まで値引き交渉されて、番長が折れた。友人は半ベソをかきながら、その金額で売却を決めた。帰り際、番長に「来なきゃ良かった」と言われた。あれは本当に大変な一日だった。価値とは一体何なのだろうか。
今見たら、フリマアプリにのっている自分のサイン本は「Sold」と書かれていた。妥当な金額と思われたことが悔しくて、番長の気持ちがようやくわかった気がした。
この記事を書いたのは…カツセマサヒコ
1986年、東京都生まれ。デビュー小説『明け方の若者たち』(幻冬舎)が大ヒットを記録し、2022年に映画化を控える。今年7月、二作目となる小説『夜行秘密』(双葉社)が発売。
イラスト/あおのこ 再構成/Bravoworks.Inc