昔から人を深く信用するのが苦手だ。この性格のせいで損ばかりしている気がする。たとえば仮に人から好意を向けられたとしても、どうせ一時的なものだろうと考えてしまうし、「そもそもどこまで俺のこと知った上で好きだとか言ってんの?どうせ一部分、それもかなり表層的な部分だけ切り取って、そのうえ勝手に美化までして、思い込みで好きって言ってるだけでしょ?」などと面倒くさい感情が溢れ出て、素直に好意を受け取れない。異性関係についても同じ。この連載の初回にも書いたけれど、女の人が言う「こんなの初めて」は大体二〜六回目くらいだと思っている。超有名デートスポットに行くのが「こんなの初めて」なわけがない。ベッドの上でも同じ。だいたいは自分より前に誰かと済ませたことを、あたかも人類史上初!みたいな顔で感動してくれる。有難い。月に行きたい。
ここまで捻くれていると、仕事でも多大な支障をきたす。会社員として働いていた頃、先輩から仕事を引き継ぐことになった。簡単にいえば、会議の議事録をつくる、くらいのシンプルな仕事だ。
「これは担当者からしたら作業でしかないけど、会社にとってはとても大切な資料になるから。何かトラブルがあって、いつか過去を見返すことになったときに、絶対使うことになるから」先輩はそう言った。今考えれば、真っ当なことしか言っていない。でも、当時の私は、これがなかなか理解できなかった。担当者からしたら作業でしかないのに?会社にとっては、大切な資料?そんなやり甲斐と責任がアンバランスな仕事あります?全く苦痛でしかないのですが?
先輩が言ったことなのだから、とりあえず手を動かして、そこから考えればいいのだ。それなのに私は、ぶつぶつと文句を言っては、なかなか手をつけなかった。ひどい話である。下手したら時効ですらないかもしれない。謝りたい。素直になりたい。
迷惑をかけたのは先輩だけではない。後輩に仕事を引き継ぐのも、とにかく下手だった。相手を信用していないから、徹底的に教え込まなければならないと考えてしまう。しかし、徹底的に教えるためには、まずは徹底的な引き継ぎ資料を作成する必要があるし、その後に手取り足取り、徹底的に一緒にやってみる必要がある。その後、後輩にやらせてみて、問題なさそうだったら初めて、任せていいかと思える。ぶっちゃけ、面倒くさい。あまりに面倒なので、次の瞬間、心が拡声器を持って叫んでくる。「だったら自分でやったほうが早くね?」違う。そうじゃない。一度引き継げば後は自分がラクになるんだから、さっさと渡したほうがいい。絶対。頭ではわかっているのだ。でも、なんとなく、後輩を信用していなくて、そう思っている私のこともきっと後輩は信用してくれていなくて、そうして引き継ぎはいつも、土壇場になってバタバタと行われた。謝りたい。本当に申し訳ない。深く傷つきたくないあまり、面倒なことに巻き込まれたくないあまり、「人には期待しないほうがラクだよ」といつも深層心理で唱えてしまっているから、こんなひどい状況になってしまうのだ。
もう少し、素直に生きられたらいいのに。相手を信じられたらいいのに。そう思っても、しかしなかなか変われないのが人間というもので。そしてこの厄介な疑い癖の矛先は、いよいよ人間以外にまで向かい始めた。
最近は、食洗機が全く信用できない。カレーを食べた後のしつこい油汚れをあんな機械が綺麗にできるわけがない、と疑ってしまう。それで、食洗機から出てきた洗い立ての食器の匂いを嗅いだり、端っこを指で擦ったりしている。しかし、何度確認しても食器は綺麗で、そのたび「あ、疑ってごめん」と、また食洗機に心の内側で謝ったりしている。もう少しだけ、素直になりたい。
この記事を書いたのは…カツセマサヒコ
1986年、東京都生まれ。デビュー小説『明け方の若者たち』(幻冬舎)が大ヒットを記録し、2021年12月に映画化。二作目となる小説『夜行秘密』(双葉社)も発売中。
イラスト/あおのこ 再構成/Bravoworks.Inc
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