コロナ禍の影響もあって、2021年は本当に酒を飲まなかった。そもそも自宅では酒を飲まないので、冷蔵庫には缶ビールの一本も置いていないし、宴会もつい最近までほぼなかった。両手で数えられる程度の飲み会も、それらの大半が飲み屋ではなく、友人の家で開かれた。
夏の終わりと秋の始まりが入り交じる頃。旧知の友人の家に集まって男三人のしっぽりとした飲み会を開いた。久々の宅飲みがコンビニのつまみでは味気ないと思い、電車を降りると、わざわざ友人宅より少し離れたところにある成城石井まで足を延ばして、場が盛り上がりそうな惣菜を探した(同性の友人からも、モテたかったのです)。結局、高級そうな惣菜は味まで上品そうで、何の祝いでもない男だけの飲み会には合わないと思い、大方味の予想がつきそうな焼売や餃子を買って、友人宅まで向かう。
いつもなら最初にビールを喉に通すが、その日は少し涼しかったのもあり、ハイボールから始めようと思った。そこそこ良質だというウイスキーのボトルを友人から手渡されると、炭酸水を冷蔵庫から勝手に取り出して、タンブラーに氷を四つ、五つと落としてから、席に着く。そこまでは良かった。
ふと、タンブラーにウイスキーを注ごうとしたところで気付く。「あれ。ハイボールって、どのくらいウイスキー入れるの?」「は?」「マジで言ってんの?」成人を迎えて、十五年。ハイボールの割り方が、わからない。「待って。逆に、これまでどうやって生きてきたわけ?宅飲みしたことのない人?」「まさか今日までずっと誰かに作ってもらっていたとか?貴族?パワハラ男?」「いや、待って。ある。昔は自分で作ってた。たぶん、久々すぎて忘れてる」
思い出してみる。確かにいろんなところで、ハイボールくらい自分で作っていたはずだ。明大前の沖縄料理屋で「鏡月」のウーロン茶割りをひたすら作っていた大学時代も思い出せる。ずっと人に作らせていたとか、そういった富豪めいた暮らしをした覚えは、一切ない。でも、なぜかこの瞬間、ハイボールの割合を思い出せない。「ネタではなく?」「うん、ごめん、本気でわからない」呆れた顔をしてから半笑いになった友人たちは、悪ノリするでもなく適度なウイスキーと炭酸水の割合を教えてくれた。大人になってもこんな感じでいることがただただ情けなく、飲酒する前から赤面してしまう。「女子と宅飲みとかするとき、どうしてたわけ?」そう尋ねられて、再び記憶を辿る。しかし、自分の家や誰かの家で飲むことはあっても、記憶の中の映像は缶酒ばかり出てきて、ボトルのウイスキーからハイボールを作る、というシーンがなかなか登場しない。宅飲みの経験値が、圧倒的に少ない。
飲酒が好きな異性と出会わなかったわけではない。どちらかといえば酒豪を名乗る女性に憧れが強いし、そういう人と飲みに行くことも多かったと思う(やはりこちらが先にギブアップして、後半は水ばかり飲み、その間、酒豪の女性たちはずっと隣で日本酒やワインを飲んでいた)。日本酒や焼酎についてウンチクを語る女性の姿が好きで、でもそれをこれっぽっちも覚えようとはしていなかった日々が、頭に浮かぶ。「飲みに行くことはあっても、酒を作って飲むってことを、あまりしてこなかったかもしれない」。感慨深げに言ってみたが、「人生の半分は損している」と、すぐに一蹴された。
居酒屋のメニューだって、日本酒も焼酎もワインもウイスキーも、知識がなければ選択肢は半分どころか三分の一くらいに絞られてしまう。そこまで覚えなくても、それなりの年齢になったのだから、せめてハイボールの割合くらいは知っておかなくては恥をかくことも多いだろうなと、反省しながら炭酸の泡を眺めていた。
この記事を書いたのは…カツセマサヒコ
1986年、東京都生まれ。デビュー小説『明け方の若者たち』(幻冬舎)が大ヒットを記録し、2021年12月に映画が全国公開予定。二作目となる小説『夜行秘密』(双葉社)が発売中。
イラスト/あおのこ 再構成/Bravoworks.Inc
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