カツセマサヒコ「それでもモテたいのだ」【クリスマスを感じるのは、スタバ】

クリスマスシーズンの到来を認識

クリスマスシーズンの到来を認識するきっかけが、スターバックスにあることが多い。
「スタバ」ことスターバックスは説明するのも野暮なほど超有名なコーヒーチェーンである。野暮だとわかっているが私の解釈を加えて説明すると、若いアルバイトスタッフの多くは東京大学・京都大学レベルの高い顔面偏差値を誇り、夏季限定クールライムのように爽快感あふれる笑顔やキャラメルフラペチーノのように甘い魅力を持った声で、私たちゲストをもてなす。
その接客スタイルはあまりにやさしく親しげであり、「あれ?この人、俺のこと好きなんじゃないの?ほら、カップにハートマーク書いてあるし」とイタい勘違いを起こしたことは一度や二度じゃない(たぶん、いずれもすごく疲れていたんだと思います)。
スタバはクリスマスシーズンを迎えると、店内BGMを往年のクリスマスソング(しかもとびきりお洒落なJazzアレンジのやつ)に切り替える店舗が多い。
小さな丸テーブルでくつろぐ恋人たちはうっとりとした眼差しでお互いを見つめ合い、たちまちその周囲はラブラブめいた空気が綿雪のようにふわふわと柔らかく広がっていく。
そんなスタバ店内のように、クリスマスの時期にだけ色濃く感じられる、刹那的な幸福が街を覆っているような空気が、昔から少し、苦手だった。
心は浮わついているのに、実態が追いつかない。幸せの絶頂と不幸のどん底のコントラストが、もっとも際立っているように感じられる瞬間。
中学・高校と男子校で過ごしたのが大きいのかもしれない。恋人なんていなかったのに、男友達に誘われても「いや、クリスマスは用事あるから」と、ありもしない予定を妄想して誘いを断ったことがある。もちろん、何の予定もないまま当日を迎えるから、「こうなったら運命の出会いを求めて街に出るしかないぞ」と、クリスマス当日にひとりお台場まで出かけたこともあった。
どうしてそんな精神的自傷行為をやってのけられたのか。今となっては不思議でしょうがない(その古傷が膿んだ末に「それでもモテたいのだ」というこの連載タイトルになった気がして、今になって自分のこじらせ具合にゾッとする)が、十代の青すぎる記憶はともかく、大人になった今でも、やはりクリスマスシーズンの刹那的な多幸感が少し苦手だ。
得意先をまわる間に少し時間ができて、一時間ばかりスタバで作業をしようと思った。マグカップに入ったドリップコーヒーを手元に置いて、ノートPCを広げる。画面の向こう側はクリスマスに盛り上がるより先に、年内に納まりそうにない仕事量に地獄を見ている。そんな状況でも、店内のクリスマスソングは鳴り響く。
その場にひとりでいることが寂しいわけではない。きっと、クリスマスソングを聴くたび、幸せが終わる瞬間を想像してしまうのだと思う。
またしても十代の頃に遡る。
高校の学園祭の後夜祭、同学年の友人たちがコピーバンドを組んで、ステージに立っていた。ヴォーカルの煽りに応えるように、雄叫びをあげるクラスメイトたち。魂ごと吐き出してしまいそうなその熱狂にのみ込まれて、私は感動か、歓喜か、恐怖か、いろんな感情が混ざって、泣きそうになっていた。
この叫びが途切れたら、祭りが終わる。誰もがそうわかっていながら叫んでいた。劇的なスピードで成長していた高揚感が、突然プツンと切れて、息をしなくなる。
一生続いてほしいと心から願ってしまうような瞬間こそ、きちんと終わりが来る。そのことを、あの後夜祭の雄叫びの中で私も知ってしまったのだと思う。それ以降、クリスマスのように幸福の終わりがハッキリしているイベントが近づくたび、言語化しづらい感傷が押し寄せるようになった。
今年もまた、そんなシーズンが訪れる。スケジュール画面を見ながら、あの学園祭の夜を思い出している。

この記事を書いたのは…カツセマサヒコ

1986年、東京都生まれ。デビ

1986年、東京都生まれ。デビュー小説『明け方の若者たち』(幻冬舎)が大ヒットを記録し、2021年12月に映画が全国公開予定。二作目となる小説『夜行秘密』(双葉社)が発売中。

イラスト/あおのこ 再構成/Bravoworks.Inc

Magazine

最新号 202412月号

10月28日発売/
表紙モデル:山本美月

Pickup