なんとなくは分かるけど…「トラッド」の意味を正しく言えますか?ファッションのプロに聞いてみたら…

「トラッド」と聞いて思い浮かぶものは人それぞれ。ジャケットやローファーなどのアイテム、アイビーやプレッピーなどのスタイル…。そんなわかりそうで実は知らない、「トラッド」とは何かについて、ユナイテッドアローズの栗野さんにお話を伺いました。

\今さら聞けないトラッドの歴史/

\トラッド用語解説/
【アイビーリーグ】

アメリカ北東部にある名門私立大学8校の総称。その学生たちが着ていたのがアイビールック。紺ブレ、ボタンダウンシャツ、コットンパンツ、ローファーが定番で、世界にも影響を与えた。

【VAN】
アイビールックを日本に持ち込み、流行を作り社会現象を巻き起こした、’60年代から’70年代に一世を風靡したメンズファッションブランド。VANのショッパーさえもステイタスだった。

【みゆき族】
’64年頃、VANのアイビールックで決めた若者たちが銀座のみゆき通りにたむろする、「みゆき族」というカルチャーが生まれた。女子は白ブラウス×ロングスカートといったニュートラ的なスタイルが主流になっていく。

【プレッピー】
アメリカの一流大学進学を目指す予備校生たちの俗称。シャツの裾を出し、裸足にローファーを履くなど、上質なアイビーを着崩した彼らの抜け感のあるスタイルが’70年代後半人気を博す。

【ハマトラ】
「横浜トラディショナル」の略。’70年代後半~’80年代前半に流行した横浜元町の女子大生発祥のトレンド。「フクゾー」の服、「ミハマ」の靴、「キタムラ」のバッグが3大アイコン。

'60年代にアイビーブームが起こり、「みゆき族」が銀座を闊歩。'70年代後半には日本で定着

1960年代半ば、私が中学生の頃にアイビーブームがありました。お洒落な友達に「VAN」の存在を教えてもらい、新宿伊勢丹の店舗に行ったのを覚えています。その頃、アイビーを取り入れた「みゆき族」が流行っていました。彼らは日本初のストリートファッションの走りとも言えるでしょう。また、当時の若者は鞄を持たなかったので、VANの紙袋を持ち歩くのが流行っていましたね。
1966年にビートルズが来日し、私自身はロックスターのスタイルに影響を受けたのですが、それからも日本においてトラッドスタイルは流行り廃りを繰り返しながらずっと長く続きました。私が業界に入った1977~1978年頃、本格的にプレッピーブームが来て、BEAMSにいた1982年頃まで東京は一大プレッピーブーム。今、考えてみると、女性もそういった格好をしていたのは日本だけだと思います。アメリカに女子の制服カルチャーはほとんどないので、当時の女性のスタイルは日本で独自に進化したものだと思います。
一般にアイビーもプレッピーもアメリカのスタイルだと思われていますが、ルーツはイギリスです。アメリカ東海岸には、ニューイングランドという地域があるほどイギリスの伝統が強く、紺ブレやタータンチェックなど、学生のスタイルにも表れています。日本人にとってはキャッチーなアイビーやプレッピーがお洒落に見えて真似しやすかったので、流行したのでしょう。
’70年代、女子大生を中心に「ハマトラ」が一大ブームになっていましたが、そのスタイルに欠かせない横浜のブランドはアイビーブームの前からすでにあり、その他にも横浜にはトラディショナルスタイルを提案する素敵なお店がたくさんありました。それらのお店はトラッドブームで人気に火がつき、みんなわざわざ買いに出かけました。

\解説してくれたのは…/

◼︎ユナイテッドアローズ 上級

◼︎ユナイテッドアローズ 上級顧問/クリエイティブディレクション担当
栗野宏文さん
1978年、BEAMSに入社し、店長、バイヤー、ディレクター等を経験後、1989年にユナイテッドアローズ創業に参画。常務取締役兼チーフクリエイティブオフィサーを務めた後、現職。LVMHプライズ外部審査員やアントワープ王立芸術アカデミーの卒業審査員を任され、数々の賞を受賞するなど、長きにわたり世界のファッション業界の第一線で活躍中。

イラスト/ユリコフカワヒロ 取材/宮沢裕貴子 再構成/Bravoworks.Inc

Feature

Magazine

最新号 202406月号

4月26日発売/
表紙モデル:山本美月

Pickup