カツセマサヒコ「それでもモテたいのだ」【いい感じの居酒屋に入れない】

家から歩いて二分もかからないと

家から歩いて二分もかからないところにメチャクチャいい感じの居酒屋がある。新宿ゴールデン街とか思い出横丁とか横浜の野毛とか赤羽とか、その辺りにしれっとありそうな、カウンターオンリーなのにエロくない、思わず深酒してしまいそうな類いの店だ。
別件で地域の飲食店情報をまとめたムック本を流し読みしていたら、その店がしっかりと特集されていることに気が付いた。食い入るように読んでみると「店主は若いのに腕が立つと地元でも評判」で、さらには「夫婦で経営している」ことまでわかった。「夫婦で経営している近所の飲食店」その響きだけで早々に酔っ払えそうだった。夫がキッチンで、妻がバーでもいいし、妻がキッチンで、夫がホールでもいい。とにかく二人で店を切り盛りしていて、同じ日に休んだり、働いたりしていてほしい。食べログの定休日の欄が「不定休」になっていて、なんなら「その日のお天気次第で、閉めることがあります」くらいの態度でいてほしいと思った。
二人の近況はお店のインスタアカウントでダダ漏れになっていて、臨時休業かと思えば夫婦で日帰り旅行に出掛けている写真がアップされているとか、そういうプライベートも若干見えるタイプの夫婦がいい。それで「あ、今日あのお店、休みなんだ。え、なんか二人で海行ってるー。いいなー、楽しそう」なんて具合に、仲睦まじい二人に羨望の眼差しを向けながら働く丸の内OLにすらなってみたいと思った。何が言いたいのかよくわからなくなってきたが、要するに夫婦が経営しているというだけで、その飲食店にはひどく憧れるという話だ。
そんなこんなで憧れが募りまくっている「近所で夫婦経営しているメチャクチャいい感じの居酒屋」だが、恥ずかしいことにここまで妄想を書き散らしておきながら、家から徒歩二分足らずの距離なのに一度も行ったことがない。
なぜか?近すぎるからだ。
何度も言うとおり、この店は自宅から目と鼻の先にある。そこまで近くにあるとなんだかプライベートにまで干渉しすぎているというか、もしも一度でも顔を見知ってしまえばお互いにオフの日まで「ああ、どうも」と親しき隣人を演じなければならなくなるし、そういうのはなんだかこう、ドッと疲れる気がするのだ。ちょっとコンビニに行く時でさえ「メチャクチャいい感じの居酒屋店員と出会うかもしれない」という緊張感を持って生きることになる私と、ゴミ出しの瞬間さえも「メチャクチャいい感じの居酒屋店員」でいなきゃいけない店主夫婦。どう考えてもこの関係は苦しいじゃないか。
この事態を避けるために、今日まであえて「行かない」という選択肢を取り続けてきた。自分なりに考えた結果の悲しき生存戦略(ご近所付き合い)なのだ。そして、実はこうしたまどろっこしさはこの店との関係に限ったことではない。全ての飲食店やアパレルショップに対して、常連、と思われることに憧れると同時に、若干の抵抗感を抱いている。
ある街に、パソコンの使用や店内写真撮影がNGという大変お気に入りの喫茶店があって、そこにはいつも小説を読むためだけに足を運んでいた。客に一切の関心がなく、隙あらば店内で煙草を吸い、新聞を読もうとするマスターの空気感も好感が持てたのだが、ある日その店に若い男の子がバイトとして入ってきた。店の空気が変わったのはそれからだ。レジで会計を済ます際、その男の子は「今日は何を読んでいたんですか?」と満面の笑みで尋ねてくるのである。そーーーじゃないのよ!私は店を出るたび、心の中で叫んだ。「常連になりたい」は「店員さんと仲良くなりたい」とイコールの人もいれば、そうじゃない人もいる。そして私は後者の人間なのだと気付いた。
せっかく素敵な店ならば、お近づきになりたい。でも、近すぎるとそれはそれで面倒臭い。今日もこの狭間に揺れながら、メチャクチャいい感じの居酒屋の前を通り過ぎている

この記事を書いたのは…カツセマサヒコ

1986年、東京都生まれ。デビ

1986年、東京都生まれ。デビュー小説『明け方の若者たち』(幻冬舎)が大ヒットを記録し、2021年12月に映画化。二作目となる小説『夜行秘密』(双葉社)も発売中。

イラスト/あおのこ 再構成/Bravoworks.Inc

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