徹夜は良くない。肌にも良くないし、おそらく心にも良くない。きっと徹夜をしたところで、成果物もあまり良いものにはならない。
そもそも令和という時代において、会社組織に属している人間が徹夜をする印象があまりない。週刊誌の編集部や広告代理店、医療関係にお勤めの方、ドライバーの方などは常軌を逸した働き方をしていそうだけれど、これを読んでいる皆さんはいかがでしょうか。
「労働時間を減らそう!プライベートを充実させよう!(でも充実できるほどのお金を渡せるわけではありません!)時代はワークライフバランス!」
でっかい声で叫ぶ人事部や総務部、労務部の声を無視して、バッキバキのハードワーク。終わるわけない仕事量に愕然としながら、今夜も最終電車の発車ベルを自宅やオフィスで聞いている。そんな方がいたら、同志ですねえと近づいて、胡散臭く肩でも組みたい。「どうしてそんなに頑張るの?」と尋ねられたら「そこに締切りがあるから」としか答えられない。仕事には、こちらがどんな体調や状況であっても厳守しなければならない納期がある。先日も「健康第一」と入力したつもりが「原稿第一」になっていて、ひどく落ち込んだばかりだ。
だから徹夜で頑張ってしまう。
デスク周りにドリンク剤や缶コーヒーの空き缶が溜まる。そんなに飲むなら缶じゃなくて大きいボトルとか紙パックで買えばいいのに、そうとはわかっていながら、あの少量の缶コーヒーに手が伸びる。量が少なければ少ないほど、質が高くなっているんじゃないかと勝手に期待している。
締切りが近づいて汚れるのはデスク周りだけじゃない。デスクトップ画面もまた、猛烈に乱れていく。ちょっとしたヤンキー高校の風紀かと思うほど乱れる。「デスクトップの乱れは心の乱れだ」と、昔勤めていた会社の先輩に言われたことがある。心が乱れきっている。そもそも繁忙期でもデスクトップ画面が綺麗な人とは、深いところではわかり合えない気がする。
この原稿もまた、保存先をデスクトップに選択した途端、十三インチの広大な世界の何処かに消えてしまう。心が消えたがっている。
「そもそも締切りや納期がわかっているのなら、前もって準備して、間に合うようにすればいいだけの話ですよね? なんでライターとか小説家の人って『締切りがヤバい』とか言って踏み倒す空気を出しているんですか?」
ある日突然、純粋な目でそんなことを尋ねられたら、ぐうの音も出なくなってしまうだろう。そうですよねえ、間に合うように書けば、いいだけなんですけどねえ。
でも、それができない。書こうと思っても、言葉が降りてこない。降りてこなければ、筆は進まない。そもそもこの「降りてくる」って姿勢が良くない。なんで「降りてくる待ち」なのだろうか。ラピュタの名シーンなのだろうか。でもつい待ってしまう。
消えたがりな心を抱えたまま、気付けば三十五歳を迎えていた。フリーライターの世界では、四十歳が定年という説もある。体力がなくなり、徹夜もしんどくなり、比較的安いギャラでもテキパキ働く若手に、どんどん仕事を奪われていく。編集者などにクラスチェンジできれば御の字で、よほどの専門性を手に入れなければ、大体は行く末も知らずに消えていくらしい。三十五歳。余命五年。端的に言って怖い。石油王に転生したい。
体力に任せた生き方は徐々に変えなければならない。わかっていながら、効率重視ではなかなか働けない。どちらかと言えば、効率化によってこぼれ落ちてしまったもののほうにこそ興味がある。今もそんな言い訳を格好よく並べて、ただ文字数を稼ごうとしている。
先ほど、眠気に襲われながらコーヒーを取ろうとしたら、派手にこぼした。PCや手元の資料を守るために咄嗟に動いたら、飲むよりよっぽど目が覚めた。コーヒーはこぼしたほうが覚醒効果が高いらしい。そんな気付きをエッセイにしていることも恥ずかしい。皆さん、お仕事順調ですか?
この記事を書いたのは…カツセマサヒコ
1986年、東京都生まれ。デビュー小説『明け方の若者たち』(幻冬舎)が大ヒットを記録し、2022年に映画化を控える。今年7月、二作目となる小説『夜行秘密』(双葉社)が発売。
イラスト/あおのこ 再構成/Bravoworks.Inc