トリプルファイヤー吉田靖直コラム「私がマッチングアプリをやらない理由」vol.6

このコロナ禍の東京は20時以降

このコロナ禍の東京は20時以降に開いているお店がほぼなく、大っぴらに外出することも憚られる空気が世間に漂っている。こんな時期に、異性との新しい出会いを求めることなど不可能だ。そしてそれは私にとってありがたいことである。それまでは、私が寝転がってマンガを読んでいる間にもどこかの出会いスポットではチャラついた男女が楽しい時間を過ごしているのではないかと、頭のどこかにそんな不安が影を落としていた。しかし、店が閉まっているこの時期なら自分の知らぬところで不埒なパーティが開かれていることもない。そう思えば、何の不安もなく、以前よりもリラックスした状態でネットサーフィンやブロック崩しのゲームに取り組むことができたのである。

しかし先日のこと。コンビニで立ち読みしたある雑誌の記事が私の心を掻き乱した。コロナ禍の今、出会いのチャンスが減ったと言われているが、しかし実はそんな時代だからこそ、マッチングアプリがアツいという。居酒屋が閉まっているという口実で誘えば、飲み会が減ってストレスが溜まっている女子は簡単に家に来てくれる。雑誌にはそんなことが書かれていた。

やられた。たとえ飲み屋が閉まっていようと、上手くやる奴はいつでも出会いのチャンスを窺っている。そして実際にこの機に乗じて不純な異性交友をしている者が少なからず存在するという。急いでマッチングアプリをダウンロードしようとしたが、少し悩んでスマホを置いた。私はマッチングアプリをやるのが怖い。自意識過剰かもしれないが、万が一自分を知っている人に見つかった場合、メッセージのスクショをツイッターに上げられでもしたら顔を上げて生きていけなくなる。また、私はマッチングアプリにトラウマを持っている。実は過去に一度だけ、マッチングアプリを通して女性と会ったことがある。その唯一の出会いで、ぼったくりバーに連れて行かれカモにされたからだ。

そのマッチングアプリは「tinder」「ペアーズ」「with」など大手サービスではなく、もっとアングラな、明らかに大量のサクラが存在している系のアプリだった。登録した瞬間、写真もプロフィールも載せていないにもかかわらず数十人の女性から「会いたいです」とメッセージが来た。

なぜ私がそんな怪しげなアプリを選んだかというと、そのアプリ内の掲示板が一番出会いに手っ取り早いと、とある下衆なサイトで見たからである。お互いのタイミングが合えば、顔写真も見せず、面倒な日程調整も省いてすぐに女性と会うことができるらしい。

暇を持て余していたある昼下がり、私はその掲示板で「今日の16時から新宿で飲める人いませんか?」という誂え向きのメッセージを見つけた。勇気を出して立候補してみると、わずか数ターンのやりとりだけで会う約束が成立した。数時間後の16時、新宿歌舞伎町のTOHO映画館前に集合。顔写真も見ていない状態で会うのは不安だったが、実際に姿を見てまともそうな人で安心する。相手はおそらく20代前半、男が多い飲食バイトに混じっている女の先輩にいそうなサバサバした話口調で、数年前はもっとギャルだったんだろうなと思った。それがすごく魅力的に映ったというわけではないが、まあ何も知らない状態で会ったにしては割といい方だろう。「暗いやつだな」と向こうから見限られないよう気を張りながら、「じゃ、適当にその辺飲みいきますか」と言った。

しかしこの時間に開いている飲み屋はチェーンの安居酒屋くらいしかない。そういうところに初対面の女性を連れて行っていいものだろうか。少し逡巡していると、彼女が「よく行くバーあるんでとりあずそこ行きましょ」と言うので、ついて行くことに。ホストクラブやラブホテル、スナックなどを通り過ぎ、人通りが少なくなってきたあたりの雑居ビルの5階にその店はあった。看板も目立たない。「あ、ここいいね」とフラッと入るような店ではない。なんでこの人はこのバーに行くようになったんだろう。歌舞伎町の奥にあるバーへ頻繁に通っている女性とはわかりあえるのは難しそうだとも思ったが、萎縮しているように思われたくなかったので努めて平静な顔で入店する。

カウンターだけの狭いバー。店はまだ開いたばかりで、客は誰もいなかった。席に着くと女は「とりあえずテキーラいっとく?」とやや不穏なことを言い出す。断ろうかと思ったが、最初に強い酒でテンションを上げるのも一興かと思い直し、テキーラを2つ注文。私は割とお酒に強い方だ。また、女性はお酒を飲むといろいろと開放的な気分になるとも聞く。お酒を全く飲まない女性よりは、一緒にガンガン飲んでくれる女性の方がむしろ今後の展開を考えればありがたいのかもしれない。

テキーラを飲み干した私がハイボールを頼むと、彼女は「キティ」という赤ワインを何かで割った酒を頼んだ。ワイングラスに半量ほど入った大して量のないその酒を、その後も数分に一度のペースで絶え間なく飲み干している。合間合間にテキーラを頼みたがるので一応それにも付き合った。

向こうのペースでガンガン注文され、完全に主導権を握られていた。ネットのナンパブログで、主導権を奪われることだけは絶対に避けろと学んでいた私は、何とかベースを掴もうと自分なりに最近の面白い話を披露する。ボルダリングジムでのエピソードで、彼女は思った以上にウケてくれたが主導権がこちらに移ることはなく、すぐにテキーラを飲みまくっている。なんでそんなにテキーラが飲みたいんだ。とにかく顔見知りの店員がいるこのバーを出なくては主導権を握ることができないと考え、まだ残りたそうな彼女に「腹が減ったから次の店に行きたい」と主張した。

元ホスト風の店員が持って来た伝票を見て驚愕した。30分そこそこしか飲んでいないというのに会計は36000円。私が飲んでいたハイボールは600円だった。料金おかしくないですか、と文句をつけるために酒の値段をよく確認すると、折りたたんだメニューの一番奥の非常に分かりにくい場所にテキーラの値段は2000円、キティは3000円と確かに書かれており、悔しいことに計算してみれば会計は合っていた。しかしその価格設定は明らかにボッタクリの意図を感じるものだったし、女も店とグルになり、不自然な価格設定を把握した上で高い酒を頼みまくっていたのは確実に見えた。

「え、高っ!」と不満を表している私を見ても女は一切財布を出そうとせず、無表情で虚空を見上げてやり過ごそうとしている。その日はたまたま何かの支払いのためにお金を多めに持っていたので36000円を支払うことは可能だったが、納得できない額をすんなり払うのが悔しかったので「お金がない」と嘘をついた。「後で返すからとりあえず払っといてくれない?」女に頼むと、わかった、現金は持ってないからカードで支払うね、と言う。あれ、もしかして俺が疑いすぎてただけなのかな、と一瞬希望を抱きそうになるも、女「カードで支払いできますか?」店員「すいません、カード使えないんですよね」女「ごめん、やっぱカードダメだって」と明らかに事前に取り決められていた茶番を見せつけられただけだった。

でもお金がない、コンビニに下ろしに行ってもお金がない。ゴネる私に店員が与えた妥協案は、とりあえず半額の18000円を現金で支払うこと。そして今日のところは身分証を置いて行って、後日半額を返しに来ること。それ以上食い下がるとヤクザを呼ばれそうな恐怖を感じた。条件を飲んで半額を支払い、私が所持している唯一の身分証「住基カード」を預けて店を出る。道を歩きながら、彼女に「あの…ていうか店とグルだよね?」と勇気を出して率直な感想を述べると、「えっ、よくわかんない。ていうか私こっちだから行くね」と小走りで逃げられた。

スマホで時間を確認すると、まだ17時にもなっていなかった。
私はわずか数十分で2万円弱をぼったくられた衝撃で立ち尽くしながら、ぼったくることしか頭にない女さえ普通に笑わせることができたあのボルダリングジムの話は、今後うまくやれば自分なりのすべらない話になるかもしれないな、とぼんやり考えていた。

それ以降お金を払いに行っていないので、私の住基カードは今でもあの店にあるはずだ。それともいろんな人の手を渡り、どこかの国で不正に利用されているのだろうか。とりあえずすぐに警察へ紛失届を出したおかげか、今のところこちらに被害は来ていない。

この一件から、私はマッチングアプリが非常に怖い。だからこのコロナ禍に乗じてマッチングアプリで上手くやっている不謹慎な連中を、指をくわえて見ていることしかできない。今の私の願いは、犯罪の温床とも言えるこれらマッチングアプリを早く警察か誰かが取り締まって、世の中から一掃して欲しいということだ。そうなれば私は関係のない他者に心をかき乱されることもなく、穏やかな気持ちで一日中家でゴロゴロしながら漫画を読むことができるに違いない。

イラスト/谷端実

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最新号 202412月号

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表紙モデル:山本美月

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