【OLからの転職】SE職をやめて、不動産営業を仕事にした、岩崎さんの場合。

新卒の就活は「こうあるべき」とイメージにとらわれがち。でも実際に社会に出て、いろいろな大人と出会い、自分の将来像が改めて描けるようになったりするものです。今回はIT企業から、インフルエンサーを経て、フリーとして不動産営業をしている岩崎静羅さん(35歳)のストーリーです。

なりたい自分を人に話すことで、

なりたい自分を人に話すことで、未来が切り開かれていきました

「自分の時間が欲しかった。15時間働く毎日が当たり前。こんな人生で良いのか」。そう思ったのがきっかけだったと話す岩崎さん。2社目に就職したIT企業ではシステムのQE(品質管理)担当。「やりたい仕事というよりはお給料の良さで決めた会社でした。仕事量がとにかく多い部署で毎日が忙しく1日15時間勤務。同僚たちが友達のように仲が良かったこととお給料の良さで乗り切り、気づけば4年以上が経過…。会社と家の往復の日々に疲れたころ、営業職でバリキャリの友人が私より少ない労働時間で稼いでいる話を聞いて。私、本当はもっと稼げるんじゃない?と疑問を抱いたことも仕事を辞める一因になりました。当時、読者モデルをやっていたのでブログとインスタグラムのフォロワーが一定数いて、それに伴う収入と貯金で生活。そのうちに趣味であるゴルフ好きが高じゴルフウェアを作りたいと思い、ブランドを立ち上げた時期があります。ネットで何もかも一から調べ、1人でスタート。2年継続したものの在庫を抱える仕事は大変で、1人で仕事を回すには限界があったこと、会社規模にするほど前向きでもなかったことから休止。転職しなきゃと焦りつつ、インフルエンサーとしての仕事はゴルフにまつわるものが増えていたので、ゴルフは変わらず続けていました。仲間も増え、会社社長など人生経験豊富な年上の男性たちとの出会いも生まれていたある時、『不動産の仕事はどう? 教えるから』との助言を受けて猛勉強。昔から受験勉強など目標に向かって努力するのは得意なタイプ。宅建の資格は3カ月で取得しました。仕事を紹介してもらい、不動産売買の仲介をするように。教えてもらうというよりは手探りで自分のやり方を見つけていく仕事。やってみたら楽しくてたまらず、フリーで不動産営業としてやっていくことを決意。現在に至ります。動かす金額の大きさ。関わる人の大物さ。そして動かすものは物件とお金だけれど、背景にあるものはすべて人情劇と言っても過言ではないほど人間らしいもの。この3つすべてが刺激的で楽しくて、今ではもっと早くこの仕事に出合っていたかったと思うほどです。すべてはあのとき、人に『稼げる仕事がしたい』と話したところから始まりました。目標を人に伝えることって、すごく大切だなと痛感しています」。

 

転職するまで、転職してから

撮影/川﨑一貴(MOUSTACHE) 取材・文/野田春香  編集/藤田摩吏子

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