女優&日本舞踊家・藤間爽子さん「舞踊と役者。両方の仕事があることで自分を保つことができるようになりました」

藤間爽子、またの名を三代目藤間紫――。日本舞踊の家元でもある藤間さんには、雅なイメージを勝手に抱いていました。でもインタビューではシャイな印象ながら、コンプレックスなどを率直に話してくださり私たちと重なる部分も多いと感じました。日本舞踊の動きを活かしたシューティングにも注目です。

自分も周りも幸せにするウェルビー女子な生き方、教えてもらいました

舞踊と役者。両方の仕事があることで自分を保つことができるようになりました

ジャケット¥103,400チュ

ジャケット¥103,400チュールレイヤードパンツ¥53,900中に着たつけ襟¥56,100(すべてチカキサダ/エドストローム オフィス)シューズ¥50,600(カチム)ブレスレット¥253,000右手人差し指リング¥209,000(ともにシハラ/シハラ トウキョウ)右手中指リング¥15,400(エネイ/エネイ松屋銀座)

逃げたい、とずっと思っていました

子どもの頃から学芸会でも主役をやりたいタイプでした。小学校では演劇部に所属。日本舞踊の家元だった祖母の舞台を観るために劇場に行くことも多く、楽屋の役者たちに憧れを抱くようになり、小学生時代の作文にも〝日本舞踊もできる女優になりたい〞と書いていましたね。かといって、クラスのリーダーやムードメーカー的存在ではなく、口数も少ない方だったので、学芸会のときだけ「やりたいです!」と積極的に手を挙げていたので、まわりを驚かせていたと思います。でも自分としては目立ちたいとかそういう理由ではなくて。人前で演技したり、表現したい気持ちが強かった。シャイな性格でしたが、昔も今も演じているときに恥ずかしさは全くないんですよね。むしろ自分を解放できている感じ。逆に素の自分でいる方が恥ずかしくて、今日みたいなインタビューもドキドキしています(笑)。
14歳のときに、家元である祖母が亡くなったことは、自分の進む道が変わる大きな出来事でした。何の覚悟も自信もないけれど、家を継がなければいけない。でも俳優への夢も諦めきれず、大学時代までずっと悩んでいました。「今を逃したらもうチャンスはないかも」と劇団に入ったのは、周りが就職活動を始めた頃。自分で何かを掴みたい、認められたいという想いが出てきて、舞踊だけだと自分が保てなくなっていました。祖母がいるから私がいることは分かっていたのですが、日本舞踊の世界にいるとどうしても祖母と比較され続けるんですよね。その度に、一歩引いて見られていたり、まるで自分を見てもらえていないような気持ちになっていました。日本舞踊家の家に生まれた自分のアイデンティティを捨てたくないとか、お弟子さんたちの期待を裏切りたくないという想いもありましたが、苦しいことも多くて……。舞踊から逃げたい気持ちもあったのかな。違う世界に飛び込めば、本当の自分の姿を見てもらえるんじゃないか、とオーディションを受け始め、劇団に入ることを決めたんです。

オーディションに落ちることすら嬉しくて

今は嫌ですが(笑)、オーディションを受け始めた頃は、落ちることすら嬉しかったです。どんな結果にせよ、先入観なしに自分を見て判断してもらえたことに充足感がありました。それまで演劇の勉強をしてきたわけではないのですが、実際に台詞を読む段階で「私ってこんなに自分を解放できるんだ」という発見があったのも印象に残っています。舞踊の世界ではいつも萎縮している自分がいたけれど、俳優の世界は知らないからこそ無敵状態でした。振り返ると恥ずかしい芝居をしていたと思いますが、「人前で演技したい」という小さい頃の感情も溢れてきて、改めて表現することの楽しさを実感しました。俳優を始めて4、5年が経ち、最近は自分の苦手な部分も分かってきました。できない自分も認めて、立ちはだかる壁も楽しく乗り越えられるようになってきたのは、変化のひとつです。

藤間爽子さん
1994年生まれ。東京都出身、青山学院大学卒。幼少期より、祖母・初世家元藤間紫に師事し、7歳で歌舞伎座の舞踊会で初舞台を踏む。以来、数々の舞台に立ち、2021年には三代目藤間紫を襲名。大学時代には劇団「阿佐ヶ谷スパイダース」に所属し、俳優としての活動もスタート。2017年、NHK連続テレビ小説「ひよっこ」でデビューを果たし、TBS「マイファミリー」現在放送中のWOWOW「ドラフトキング」、2023年後期放送のNHK連続テレビ小説「ブギウギ」にも出演予定。

撮影/水野美隆 ヘアメーク/Tomoe〈artifata〉スタイリング/和田ミリ 取材/坂本結香 再構成/Bravoworks.Inc

Feature

Magazine

最新号 202405月号

3月28日発売/
表紙モデル:山本美月

Pickup