主演の吉沢亮を筆頭にイケメン密度が高すぎるキャスティングが話題の新大河ドラマ「青天を衝く」。物語の始まりとなる幕末~明治期は時代の熱さに比例してか、今も心を熱くさせる逸材揃い。ルックスも生き方もカッコいい100年前のイケメンを辛酸なめ子さんと一緒に探してみました。
NHKの大河ドラマ「青天を衝く」がイケメン祭り状態だと話題になっています。渋沢栄一役が吉沢亮、土方歳三役が町田啓太、五代友厚役がディーン・フジオカという目の保養すぎるキャスティング。実際の渋沢栄一は育ちの良さが漂い、五代友厚は凛々しくて、土方歳三は目鼻立ちが整っていてかっこいいです。使命感やポテンシャルを漂わせた彼らは、かなりのオーラを放っていたことでしょう。さらに渋沢栄一が吉沢亮のルックスに上書きされることで脳内で新一万円札の肖像が美化され、万札を使いたくなくなってしまい経済が停滞する恐れも……と妄想がよぎりました。ほかにも幕末~明治時代には逸材がいらっしゃるのかもしれない……と当時のイケメンを調べてみました。
幕末~明治時代の注目イケメン4人
大河で岡田健史が演じることも話題! 渋沢平九郎 (1847年-1868年)
(編集部注※権利の関係で渋沢平九郎氏の写真は掲載できませんが氏に関するサイトなどで閲覧可能です)
今回の大河ドラマ化や2024年に一新される一万円札の肖像にも選ばれて、令和の時代に再び脚光を浴びている渋沢栄一。若い頃の写真はドラマで彼を演じる吉沢亮のような超絶イケメンではなく、品格漂う紳士という雰囲気(ややリリー・フランキー氏似)。お札に印刷される肖像は木村太郎氏似のおじさん姿です。そんな上級フツメンの渋沢栄一に、イケメンの養子がいたとは……。
渋沢平九郎は江戸時代末期の豪農出身で渋沢栄一の見立て養子になり、武士の道へ。栄一に見込まれただけあって、18、9歳の頃には剣の腕前が上達し、容姿端麗、長身で色白のルックスが目立っていたそうです。武士の時の写真が残っていますが、キリっとした表情で目鼻立ちが整っていて、鋭い眼光に武士としての使命感や責任感が宿っています。
戊辰戦争後に彰義隊から分離した振武軍に参謀として加入した平九郎は新政府軍との飯能戦争に参戦。しかし逃げる途中、新政府軍に見つかって応戦。負傷して自決してしまいました。享年22歳……。平九郎が座って自害したとされる岩は自刃岩と名付けられたそうです。その付近のグミの木には平九郎の血を宿したような真っ赤なグミが実るので「平九郎グミ」と呼ばれています。平九郎の首は官軍により越生町の法恩寺の門前に晒され、その後、法恩寺には「渋沢平九郎埋首之碑」が建てられました。イケメンの首を晒すなんて官軍の蛮行は許せません。飯能に住んでいたこともある身として、悲劇の幕臣の冥福を祈りたいです。
無血開城の立役者はかなりの女好き!? 勝海舟 (1823年-1899年)
幕臣で政治家で、太平洋横断の船の艦長、参議兼海軍卿、枢密顧問官など大役を担ってきた勝海舟。「江戸無血開城」の裏で暗躍したり、重要な交渉ごとに立ち会ってきたフィクサー的な存在です。
「外交の極意は誠心誠意にある」をモットーにしてきた勝海舟ですが、女性関係は1人の本命に誠心誠意する、というわけにはいかなかったようです。30代に入ってから女漁りモードになり、正妻以外にも5人くらいお妾さんがいて、計9人の子どもが生まれています。妻と妾が同居するという一夫多妻生活。そもそも住み込みのお手伝いさんに手を付けて妊娠させていたようで節操がないです。写真を見ると、モノクロなのにギラギラした感が。鼻筋が光っていて、全体的に照りが強く黒光りしています。好色なイケメンという風貌で、近付いたら危険そうです。
本人的には家庭はうまく回っていたという認知バイアスを持っていたようですが、妻は我慢の臨界を超えていたようです。勝海舟より長生きした妻、民子の遺言は「頼むから海舟と同じ墓には埋めてくれるな」……。一方、勝海舟は「行いは己のもの。批判は他人のもの。知ったことではない」という名言を残しています。自分勝手すぎるイケメンですが、だからこそ我が道を行って出世できたのかもしれません。時代と寝ただけでなく女とも……という彼にはアドレナリンがみなぎっています。
幕末にパリやエジプトに渡航したグローバル派 池田長発(1837年-1879年)
旗本の息子として生まれ井原領主の養子となる、というわりと恵まれた育ちの池田長発(ながおき)。だからか彼の写真の顔はどこかふてぶてしく、挑戦的なイケメンです。
「旗本だけど何か?」そんな声が聞こえてきそうです。ブライドや自信がみなぎるのも無理はありません。池田長発は少年時代から成績は抜群。20代で京都町奉行・火付盗賊改・目付を歴任。外国奉行にも抜擢とステップアップしていきます。27歳の時に遣欧使節団を率いてフランス軍の軍艦に乗船して世界へ……。1864年にはエジプトのスフィンクス前で記念撮影しています。武士とスフィンクス、という組合せがシュールです(中にはスフィンクスに登っている武士も……)。一行は皇帝ナポレオン3世にも謁見。東の果ての日本にも美男子がいるということをフランス人にアピールできたかもしれません。長発はフランス政府とパリ約定を結び、多数の書物を日本に持ち帰ります。鎖国を保ちたい幕府に対し、開国の重要性を説いたという長発。物怖じしない性格が写真の強い眼力に現れています。今、コロナで日本はまた鎖国状態になりつつありますが、長発の魂に今後、日本人はどうすべきか問いかけたいです。
ヘアスタイルやストールもおしゃれすぎる! 織田信福(1860年-1926年)
「幕末・明治のイケメン偉人」としてバラエティ番組に取り上げられたり、キリンビールの新聞広告にも写真が採用されたという、現代でも十分通用するルックスの織田信福(のぶよし)。高知で自由民権運動家として、また歯科医として活躍していました。ラフなヘアスタイルとストールの巻き方がおしゃれで、男らしい太眉とまっすぐな眼差しに心をつかまれます。明治政府に対して人々の自由や権利を求めて立ち上がって、時代を変えようという強い意志とパッションがみなぎっています。
20歳で医師の門下生になり、25歳で上京して歯科医師に師事。26歳で歯科医院を開業します。信福が初代院長である織田歯科医院は今も高知県高知市に存在しています。こんな素敵な歯科医師がいたら……口の中を見せるのに戸惑いながらも、治療の恐怖が半減しそうです。麻酔薬なしでも心を痺れさせる魔力が。
30歳頃の写真を見ると立派な口ヒゲが生えています。もしかしたら硬派な彼はあふれるイケメンぶりを隠したかったのかもしれません……。そんなまじめなところも明治男子の魅力です。
幕末~明治期のイケメンは現存する写真の数が少ないからこそ、1枚1枚の存在価値が高まって心に訴えかけてくるものがあります。現代人のようにチャラい写真が出てくることもありません。時代の変わり目に強い使命感を持って筋の通った生き方をしていた彼らの姿には普遍的なかっこよさが。写真を見るたび、時代を超えて何度でも惚れそうです。令和の世に彼らを超える日本男児は出現するのでしょうか……。
辛酸なめ子
イケメンや海外セレブから政治ネタ、スピリチュアル系まで、幅広いジャンルについてのユニークな批評とイラストが支持を集め、著書も多数。近著は「スピリチュアル系のトリセツ」(平凡社)、「辛酸なめ子の世界恋愛文学全集」(祥伝社文庫)、「女子校礼賛」(中公新書ラクレ)など
構成/CLASSY.編集部