山崎怜奈さん(28)「余裕がなくなった時ほど、あえて状況を俯瞰します」【エッセイ『まっすぐ生きてきましたが』インタビュー】

TOKYO FM「山崎怜奈の誰かに話したかったこと。」のパーソナリティをはじめ、言葉を軸に活動の幅を広げてきた山崎怜奈さん。この秋、エッセイ集『まっすぐ生きてきましたが』を刊行しました。仕事、恋愛、将来――揺れやすいアラサーの日々を、飾らない言葉で綴った一冊。今回のインタビューでは、迷いも喜びも抱えた先に見えてきた、「もっと自由でいい」という感覚について、率直に語ってくれました。

Profile

1997年東京都生まれ。慶應義塾大学卒。2013年に乃木坂46の2期生として加入し、2022年7月に卒業。在籍中から知性と語り口の巧みさで注目を集める。TOKYO FM「山崎怜奈の誰かに話したかったこと。」のパーソナリティを務めるほか、報道・教育番組への出演、エッセイやコラム執筆など多方面で活躍。新しい時代の“語り手”として注目を集めている。

話すだけじゃ足りなかった。その思いが、文章へ向かわせた

――この秋に新刊エッセイ『まっすぐ生きてきましたが』を刊行されました。山崎さんが、ご自身の想いや体験を“文章として書き始めた”きっかけはどんなところにあったのでしょうか?

2020年10月から、TOKYO FM『山崎怜奈の誰かに話したかったこと。』で帯番組を担当するようになって、日々さまざまなニュースや出来事に触れる中で、「もっと自分の気持ちを深く伝えたい」と思うことが増えていきました。ただ、お昼の帯番組は意外と一つの話題をじっくり語れる時間が少なくて。話しきれない思いが少しずつ溜まっていき、「文章なら、もっと掘り下げられるかもしれない」と感じるようになったんです。

文章と本格的に向き合った最初の経験は、書籍『歴史のじかん』の執筆でした。書くことの難しさと同時に、面白さも知って、「もっと書く力をつけたい」という気持ちが自然に芽生えました。もともと読書が好きで、エッセイもよく読んでいたので、「自分でもこういう文章を書いてみたい」という思いが、少しずつ膨らんでいったんだと思います。その延長線上にあったのが、エッセイの連載でした。「文章を書く場を持ちたい」と事務所に相談して、自分で企画書を出しました。あの連載は、流れで始まったものではなくて、自分にとって必要だったからこそ踏み出した一歩だったと思っています。

――エッセイを拝読して、仕事、旅、暮らし、家族や友人…等身大の思いがとても丁寧に綴られていると感じました。エッセイを書くうえで、特に大切にされていることはありますか?

“正直に書くこと”は、私がいちばん大切にしている姿勢です。これまで発してきた言葉を、ファンの方やスタッフのみなさんがまっすぐ受け止めてくださっている。その実感があるからこそ、文章でも嘘をつきたくないし、自分に嘘をつくような書き方はしたくないんです。

私は器用に取り繕えるタイプではなくて、無理をするとすぐに違和感が出てしまう(笑)。だからこそ、曖昧にせず、ごまかさず、思ったことを自分の言葉で書くようにしています。それが、エッセイを書くうえでの私の揺るがないルールです。

しんどい時こそ、一歩引く。見方が変われば、世界は面白い。

――『まっすぐ生きてきましたが』の発売から約2か月。読者の方から、特に反響が大きかった章はありますか?

予想以上に多かったのが、「限界労働女子の文章ですね」と言われたことでした(笑)。「こんなに働いていたんだ」「こんなふうに考えていたんだ」と驚かれる声が多くて、自分が思っていた以上に読まれているんだなと感じました。

特に、《夜景》という章が印象に残った、という方が多かったです。「東京の夜景は残業でできている」という一文から始まるのですが、Web連載のときにはそこまで話題にならなかったのに、書籍として縦書き・明朝体になると、読まれ方が変わったのか反響が一気に大きくなりました。

――その《夜景》の章は、どんな経験から生まれたものだったのでしょう?

東京で夜景を見たときに、ふいに学生時代の記憶がよみがえったんです。大学に通いながら仕事もしていて、港区の深夜営業のファミレスでレポートを書いていた頃、窓の外には煌々と光るオフィスビルの灯りが見えていて。

私たちはあの光を「夜景」「ロマンチック」と呼ぶけれど、実際は残業している人たちの灯りなんですよね。それに気づいた瞬間、ずっと心に引っかかっていた違和感が言葉になった感覚がありました。

――まさに“山崎さんの視点”が生まれた瞬間ですね。

忙しくて気持ちに余裕がなくなった時ほど、あえて一歩引いた視点で物事を見るようにしています。状況を俯瞰してユーモラスに見られたら、それはそれで面白い。読んでくださった方が「山崎さんの視点で世界を見られて面白かった」と言ってくれるのは、とても嬉しいですね。

「もっと自由でいいんだ」─ヨーロッパ一人旅がくれた解放感

――“ヨーロッパ一人旅”について書かれていますが、最も心に残った景色や出会いは?

2023年が、初めての「1週間まるごとのヨーロッパ一人旅」でした。ポーランドを歩き回ったり、友達に会いに行ったりしながら、基本的にはずっと一人で行動していました。特に印象に残っているのは、ポーランドで立ち寄った、英語がほとんど通じない本屋さんです。おじいちゃんの店主に「地元の絵本が欲しい」と必死に伝えようとしたのですが、まったく言葉が通じなくて(笑)。それでも、スマホと身振り手振りと情熱があれば、意外とどうにかなるものなんだなと実感しました。

10代の頃からずっと仕事をしてきて、実は旅の経験があまりなかったんです。でも、今回の旅では、見知らぬ土地でも思っていた以上に元気に過ごせた。そんな自分に出会えたことは、大きな自信になりました。

――異国での一人旅。やっぱり自分と向き合う時間も多かったですか?

向き合う、というよりは「ハプニングが起きたときに、自分を信じて動けるか」が試される時間だった気がします。トランジットに失敗したり、バスターミナルを探したり…そのたびに、「じゃあ自分はどうする?」と判断を迫られるんですよね。

そういう経験を一つずつクリアしていくうちに、少しずつレベルアップしていく感覚がありました。人生を振り返るほど大げさなものではないけれど、「これからどう生きたいか」を考えるきっかけにはなったと思います。

――旅をされたのは、20代後半に差し掛かる時期でしたよね。振り返ってみて、何か転機になった感覚はありましたか?

そうですね。年齢的にも、これから先の生き方をどう描くかを、自然と考えるタイミングではありました。私はもともと好奇心旺盛で、やったことのないことに挑戦するのが好きなんです。ただ今回の一人旅で改めて感じたのは、「もっと自由に考えていいんだ」ということでした。

「こうしなきゃ」「こうあるべき」と、無意識のうちに自分に課していた枠を、いったん外してもいい。そう思えたことは、想像以上に大きかったです。20代後半に入るこのタイミングでその感覚を持てたのは、今振り返ってもよかったなと思います。

「頑張れば、自分で環境は選べる」最初の成功体験が教えてくれたこと

――今日のインタビューやエッセイを通して、山崎さんの考え方の土台が気になりました。ご自身にとって、その原点となった最初の「成功体験」はどんな出来事だったのでしょうか?

実は小学生の頃、学校にほとんど行けなかった時期があって、人間関係に悩んでいました。小学校が「世界のすべて」だと思っていた分、そこに馴染めないことがとても苦しかったんです。でも、中学受験をして、自分で進む環境を選んだことで、世界が大きく変わりました。新しい学校では友人にも恵まれて、毎日が本当に楽しくなって。

中学生の頃、3年間、学費免除の特待生として通えたことは、自分にとって大きな成功体験でした。奨学金をいただいて授業料がかからなかったことで、「勉強は自分を裏切らない」と初めて実感したんです。知識は積み重ねれば、確実に自分の中に残っていく。あの経験を通して、「頑張れば、自分で環境は選べる」ということを知りました。

20代後半になった今、仕事や生き方に迷う場面でも、あの頃の感覚が自然と立ち返る場所になっています。うまくいかない時も、「環境は選び直せる」「積み重ねたものは、ちゃんと自分の力になる」と思える。それが今、何かを選び、踏み出すときの支えになっています。

Information

山崎怜奈 エッセイ集『まっすぐ生きてきましたが』
マガジンハウスより発売中
定価:1,800円(税込)
雑誌Hanakoウェブ連載「山崎怜奈の『言葉のおすそわけ』」が、待望の書籍化第2弾。
2023年1月〜2025年5月までのエッセイを再編集し、仕事や旅、日々の気持ちを等身大の言葉で綴ります。太田光さんとの特別対談や書き下ろしエッセイ、愛猫との秘蔵カットなど、書籍だけの企画も収録。
購入はこちら https://magazineworld.jp/books/paper/3359/

プルオーバー¥30,800スカート¥36,300(ともにIN-PROCESS Tokyo)ベスト※参考価格(BELPER)パールピアス¥4,400クロワッサンリング¥3,300スウェルリング¥3,080(すべてDanae∴)

撮影/上村透生 ヘアメーク/久保フユミ スタイリング/マルコマキ 取材/池田鉄平 編集/越知恭子

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