里田まいさん(41)牧場での下積み経て…抱えていた20代の苦悩「“代表作がない”不安を抱えながらも必死でした」
トップアスリートの妻として夫を支える2児の母でありながら、タレント活動だけでなくブランドプロデュースにも挑戦し、いつも輝いている里田まいさん。見ているだけで気持ちが明るくなるようなポジティブなオーラの秘訣や、20代のタレント時代の苦労、仲良し夫婦でいるコツ、NYの女性たちから学んだことまで、2回にわたってインタビューしました。
Profile
1984年生まれ。札幌市出身。2002年「カントリー娘。」の新メンバーとしてデビュー。卒業後はタレントとしてバラエティ番組やイベント、雑誌などで活躍。「クイズ!ヘキサゴンⅡ」から派生したユニット、Pabo、アラジン、里田まいwith合田兄弟、など数々のユニットにも参加。2012年プロ野球選手の田中将大氏と結婚。2014年に渡米し、7年間のニューヨーク生活を経て、帰国。2児の母。
「こんなはずじゃなかった」から始まったタレント生活
――バラエティでの明るい印象が強い里田さんですが、原点はアイドル活動にありますよね。20代の頃は、どんな思いで過ごされていたのでしょうか?
20代は、仕事ばかりの毎日。特に20代前半は思うようにいかないことが多くて。「カントリー娘。」という、牧場で働きながら活動するグループに所属していたんですが、北海道で動物の世話をして、土日は東京でイベントやトークショーに出る生活でした。歌って踊るのが仕事の先輩アイドルたちと、牧場にいる自分は違って「こんなはずじゃなかった」という葛藤がありましたね。
今思うと全然若いし、数年のことですが、アイドルの18歳〜22歳って、1年をどう過ごすかがすごく大きいんです。焦りも出てきて、もうダメかなって時に、「ヘキサゴン」との出会いがあり、そこでようやく、世間の皆様に知っていただけるようになって。「あ、芸能人になったのかもしれない」という感覚でした。
やりがいと結果がうまくリンクしてきたのが20代半ば。 当然、忙しさもありましたが、それは幸せな忙しさと思えたのも、なかなか思うようにいかない時代があったからこそ。うまくいかない経験をすることは、私の人生ではすごく大事なポイント。初めからうまくいかない方が、私はいいんですよね。
テレビにもたくさん出るようになったけれど、どこか冷静な自分がいたのも、うまくいかない時代があったから。客観的に自分を見て、いつまでも、これが続かないと思っていましたね。
喜ばしい状況とわかっていても、精神的に追い込まれていました
――大変だったことはありますか?
当時いちばん大変だったのは、不眠と肌荒れに悩まされていたこと。バラエティ番組は、まさに身を削るような仕事でした。次も呼んでいただけるように爪痕を残す覚悟でいこうと思うと、前日からなかなか寝られなくて。
何か特別な武器があるわけでも、代表作があるわけでもない。そんな中で「なんとか番組にご迷惑がかからないように」「求められていることをちゃんとできるかな」という不安や心配を抱えながら、精神的に追い込まれていました。
仕事で忙しくなることは、根底では自分が求めていたことだし、すごく喜ばしいことだと理解していましたが、肌荒れがひどいときは、鏡を見るのもつらくて。「この顔でテレビに映りたくない」と思ってしまうこともありましたね。
――その中で、よかったことや、嬉しかったことはありますか?
出始めの頃は、全然お友達もいなくて、同業者のみなさんがカメラが回ってないところで楽しそうに話している輪に、全然入れなかったんです。でも、「へキサゴン」で出会ったみなさんとは楽しく過ごせたり、仲間ができたのが嬉しかったですね。ヘキサゴンの仲間は色々と一緒に乗り越えた同志のような存在。勇気をもらいながら、切磋琢磨させてもらいました。
今でも関係は続いていて、お互いに新しいことを始める時にコラボレーションすることも。スザンヌちゃんの旅館には、私が作った半纏を置いてくれました。そんなことができるとは当時思わなかったので、また別のステージに行っても、同じ価値観を持っている仲間とお互いに高め合えることが幸せです。
あとは、実家の両親や祖父母に喜んでもらえたのも嬉しかった。仲間ができたことと、親孝行できたことは、大変な中でも得ることができた財産だったと思います。
オフの日も遊びながらバラエティのコメントを考えていた
――プライベートで、 その時代に何かご印象に残っていることってありますか ?
仕事が軌道に乗って、充実している分、プライベートは全然でしたね。ディズニーランドに行っても「なんか面白いことないかな」と次のバラエティで話すことを考えていて、遊んでいても、結局は仕事。常にそこがリンクしてたと思います。40代になると、切り替えられるのですが、20代の私はオンとオフの切り替えがあまりできなかった。だから眠れなくなったし、疲れました。
でも体力はあったし、まだ若いのでやれちゃったんでしょうね。しかも、それが出来る自分も嫌いじゃないというか。ちょっと体育会系なところがあるので。
後輩から慕われる秘訣は、何歳になっても素直でいること
――30代になると、「もう大人なんだから、ちゃんとしなきゃ」と思う反面、わからないことも多くて不安になる人も多いようです。そんなCLASSY.世代に、どんな言葉をかけたいですか?
わかるかも。私も出産したとき、30代前半でわからないことだらけでした。20代なら許されても、30代で知らないのはどうかな?と思うことってありますよね。お祝いのお返しとか、役所の手続きとか。本当はもっとわかっていなきゃいけないことがわからないと、「30代なのに、やばいかも」って焦る。
だからこそ、素直でいることってすごく大事だなって思うんです。わからないことを知ったかぶりしたり、やり過ごしたりせずに、「わからないです。教えてください」って、何歳になっても言える人は本当に素敵だなって思うし、そういう自分でいたいな。
30代って、まだまだ若くてこれから。でも少し大人になって、上の立場にもなってくると、弱みを見せづらくなったり「お願いします」と言いにくくなる年齢でもあると思うんです。だからこそ、ちょっと素直でいることが、後輩からも親しみやすいんじゃないかなって。20代の子に何か言われたときも、「教えてくれてありがとう」と言える姿勢は素敵だし、可愛らしいなと思います。
大人になって、まだ若さもあって、少し落ち着いて、自分の使えるお金もある。そんな30代こそ、妙なプライドはいらなくて。素直でいることがいちばん大事なんじゃないかなと思います。
information
「本当に毎⽇使えるものを作る」がコンセプトの里田まいさんプロデュース“THE MINE COLLECTION”から「毎⽇着られる割烹着」とエプロンが登場。毎⽇着られるデザインと着⼼地にこだわり、⾥⽥まいさんのアイディアが細部に宿る一枚。丈夫で繰り返し洗濯でき、ノンアイロンで気持ちよく着られる割烹着です。
カラー:ライトグレー、ネイビー、ブルー
価格 :1万円前後
発売時期:2026年2⽉頃予定
https://theminecollection.jp
ニット¥29,700(エンリカ) ベスト¥36,300 パンツ¥23,100(ともにティッカ)靴¥64,900(ネブローニ) スカーフ¥22,000(マニプリ) イヤリング・靴下/スタイリスト私物
【SHOPLIST】
エンリカ enrica.jp
ティッカ ticca.jp
ネブローニ nebulonie.jp
マニプリ manipuri.jp
撮影/山村祐太郎 ヘアメーク/桑野泰成 スタイリング/徳永千夏 取材/加藤みれい 編集/越知恭子
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