タレントだけでなく、現在は2つの事業を手がける経営者としても活躍するスザンヌさんがCLASSY.ONLINEに登場! 第1回は、超多忙な20代の頃の生活や、愛する息子さんと熊本への移住を決断するまでのストーリーを語っていただきました。
プロフィール
1986年10月28日生まれ。熊本県出身。バラエティー番組を中心に雑誌・広告など幅広く活躍。熊本県宣伝部長も務める。2014年1月に長男を出産。現在は熊本在住で、東京・大阪を行き来する。2023年に起業し、ブランド「Style Reborn」を発表。 2024年12月には熊本市河内に旅館「KAWACHI BASE -龍栄荘-」をオープン。タレント、経営者、一児の母として活躍中。
超多忙な日々を乗り切れたのは20代の体力と、冷静な自分がいたから
――20代を振り返って、当時はどのような日々でしたか?
20代の特に前半は仕事を一生懸命した時期。後半は結婚、出産、離婚も経験しました。私のことを知ってもらえる機会がすごく増えたのが、バラエティ番組の「クイズ!ヘキサゴン」。「ヘキサゴン」は本当に学校みたいで、番組でのロケは、スタッフさんを入れると150〜200人ぐらいで大移動する、まるで合宿。みんなで沖縄に行って、待機時間はプールで泳いで、仕事でもありながら第二の青春というような感じでした。
忙しかったけれど、遊ぶのにも一生懸命でしたね。独身だったので朝から夜の22時くらいまで撮影して、そこからみんなでご飯に行ったりしてリセットしていました。今だったら考えられないけれど、そんな体力もあった。里田まいちゃんとはお鍋屋さんに行って「またお腹空いたね」と、お鍋屋さんをはしごしたことも。懐かしいです。
いちばん忙しかった頃は夜の12時から朝の5時まで生放送の後にそのまま地方に行って、飛行機で寝て、朝からロケしてまた夜飛行機で帰って、また次の日朝から仕事するみたいなことも。睡眠は3〜4時間と移動時間しか寝てなかったなと思います。移動中は爆睡。乗った瞬間、寝てましたね。その時は、眠くて眠くてしょうがなかったなという思い出です。
乗り切れたのは「そんなに長くはこの状況は続かないだろう」と思っていたから。人生一度きりしかないし、この瞬間を目一杯楽しもうと思っていました。あの時に「ヘキサゴン」に出ていた人は、みんなそうなのかなと思うけれど、自分たちのことを客観的に見ていたと思います。「運良く、紅白とか出られちゃってるけど、これが当たり前じゃないよね」と話してましたね。思い出づくりみたいな感じで。そういう意味でも青春っぽかったなぁと思います。
「あの時楽しかった」ことを当時味わえていなかったことに気づいた
――忙しいけれど、充実してたんですね。その時期に、変化したことはありますか?
青春時代の想い出や過去を振り返ったとき「あの時楽しかったな」と後から思うのは、ちょっともったいないなと思うようになりました。「めっちゃ楽しかったよね!」って後で言うけれど、その瞬間には楽しさに気づけていなかったり、しっかり感じられていなかった…ということが結構あって。
20代後半くらいにそう思ってから「楽しい!」「嬉しい!」「幸せ」と口にしてしっかり感じるようになりました。特別な瞬間って何度も訪れることじゃないんだ、ということがわかったから。「その時の楽しさ」を忘れないでいたい、というのは、大人になってから強く思うようになったことの一つです。
離婚はお互いがハッピーになるための選択。何てことないじゃんって思う
――20代後半に、結婚、出産、離婚をすべて経験されたんですね。離婚を選ぶ際に、葛藤はありましたか?
私は全然ネガティブな気持ちはなかったです。お互いがハッピーになるために離婚を選んだのだから、恥ずかしいとかもないし。正直「離婚ぐらい、何てことないじゃん」と私は思いました。
私は親もバツイチだったり、友達や周りも離婚してる人が多かったりしたので、母親に「離婚することになったんだ」と報告した時も「私と同じ人生を歩んでるわね」ぐらいの感じで。周りの人も「あ、そっかそっか」ぐらいの感じで受け入れたかな。
――結婚、離婚を経験した上で、これから結婚を考えている読者のみなさんにアドバイスをいただけますか?
同じ方向を向いて一緒に頑張っていけるって本当に素敵なことだと思うし、長年連れ添えるような人と出会えるのは、本当に奇跡だと思う。知らない他人同士が一緒になるのだから、結婚してからも大変だと思うし、かなりお互いの努力が大事だと思うので、一生懸命歩み寄って心を共にして頑張って欲しいなって思いますね。
東京に住んでいる自分は仮の姿のような感覚
――離婚後の熊本への移住は、お仕事もしている状況で、大きな決断だったと思います。それはパッと決めて行動されたのですか?それとも、けっこうじっくり考えた上でのことだったのですか。
わりとすぐ考えて、すぐ熊本に住もうって決めましたね。今考えると、どちらかと言うと東京に住んでいた私の方が仮の姿で、熊本にいる私の方が自分らしいかな、と思っていて。
東京はすごく刺激的で楽しかったし、仕事の幅も、遊ぶところも、選択肢はたくさんあります。自分の中では「仕事をする場所」が東京で、子育てしたり、自分の生活を豊かにしてくれるのはやっぱり田舎だったり、熊本とか、自然が近くにある方が自分らしくいられるのかなって。熊本に引っ越して今10年目。東京で住んだ期間よりも、もう帰ってきてから熊本で過ごしてる時間の方が長いので、今は東京に通うスタイルが自分に合ってるかなと思います。
大きな決断は、誰にも相談せずに、自分の中だけで決める派
――周りからは引き留められなかったのですか?
それがあるので、私は色々な選択を誰にも言わないんです。逆に熊本から上京した時もなのですが、全部決めるまでは誰にも言わずに、もう家も決まったり自分の中でちゃんと決まってから「私こういうことになったんだよ」って言うようにしてましたね。決心も揺らいでしまうかもしれないし、揺らぐ自分も嫌だから、引き留められないようにというか「こういう風に決めた」っていう報告だけでいいかなと。だから人に話す時は「どう思う?」という相談はしなくて「こうしようと思う」みたいな報告になりますね。
移住を報告した時も友達はみんな応援してくれて、いざ本当に熊本に引っ越してからも、東京の友達が熊本に遊びに来てくれて、それが年に一度の楽しみ、みたいな感じになったり。今も月1回は東京に行くのですが、タイミングが限られる分「いろんな話をしよう」と友達とスケジュールを合わせやすくなったので、私にとってはいいことの方が多いです。
――熊本に帰ってから「お仕事はこうしよう」という計画はあったのですか ?
それが、実はあんまり何も考えてなくて。まだ子どもが小さかったのもあったのですが。母がお店を経営しているのもあって、「仕事がなくなっちゃったら母のお店で働かせてもらおう」「仕事を選ばなかったら、どんな仕事も結構できる。というか、する」という気でいました。
2人で生活していくんだったら全然熊本でもやっていけるかなって思いがあったので。物価とか生活の基準とかも含めて、東京から熊本に行く方が、気持ち的にもお金的にも楽かなと。
それに、母と妹が子どもを見てくれていたからこそ、安心して仕事に行けました。今でもすごく感謝してますね。
取材/加藤みれい 構成/越知恭子
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