人生の踊り場にいる30代の揺れ動く心を、旬の作家たちが描くCLASSY.ONLINE限定アンソロジー、第四回はこざわたまこさんの『さみしがりやの恐竜たち』。毎週水曜21時に公開します。
これまでのあらすじ
去年の夏に夫と別れた「私=寺野(てらの)」は会社の飲み会で、同僚の奥平(おくだいら)と同じバツイチということもあり親しくなる。時々食事をして、最後に握手をして別れるだけの友人関係だったが、いつの間にか彼に好意を持つようになり…。
お互いに結婚の失敗という負い目を抱えていたせいもあってか、あえて自分たちの過去を探り合うようなことはしなかった。それでも、ぽろっとこぼした相手の一言から、あ、と何かを察するようなことは多かったように思う。
例えば幼い頃に、両親が共働きだったこと。時々祖父母の家に預けられていたことや、進学とともに家を出たこと。いつのまにか家族とは疎遠になってしまったこと。
そういう共通体験みたいなものは多かった。
「うちは母が教育に厳しかったから、小さい頃から娯楽に触れた記憶がなくて。テレビとか映画とか漫画とか、全然知らないんですよ。それこそ図鑑とか、家庭の医学とか、参考書とかばっかり読んでるような、変な子どもでした」
「両親は今、別々に暮らしています。離れている方が、お互いのためになるってこともありますし」
「子どもの時の記憶って、ちょっと変ですよね。現実なのか空想なのか、混じり合ってよくわからなくなる感じ。僕の場合は家族で小旅行に行った時の、帰りのサービスエリアかな。たしか父親に珍しくおみやげを……、こんなちっちゃい恐竜のフィギュアを買ってもらって」
どのエピソードにも、これと言った意外性はなかった。誰もが経験し得る、ありふれた後悔やトラウマ。そんなまさか、ではなく、ああそうだよね、と声をかけたくなるような。だからだろうか。互いの生い立ちを打ち明け合っても、親密度が上がったというよりは、とっくの昔にわかり切っていることを、あえてその場で再確認したような、そういう感覚になる。
そのことを話すと、奥平さんは目を丸くして、ああ、わかります、と笑みをこぼした。
「寺野さんと喋っていると、子どもの時だけ一緒に遊んだ遠い親戚と話してるみたいな気分になりますよ」
「近々異動することになりそうです」
そう切り出された時、驚きながらも頭のどこかでは冷静だった。猛暑と呼ばれる季節が過ぎ去り、何度目かの台風を経て、街にようやく秋の気配が立ち込め始めた頃のことだった。
「……そうですか。どちらへ」
「九州の支社に」
美味しいものが多そうですね、と思ってもないようなことを言う。いつ頃ですか、と尋ねると、早ければ来月には、という答えが返ってきた。
「正式な挨拶はまた、職場でになると思いますが。寺野さんには、先にお伝えしたくて」
「いえ、そんな。私は別に」
このところずっとバタバタしていたものだから、と奥平さんが眉間の辺りを指で押さえた。その仕草には、かすかな疲弊が見て取れる。このところは他部署とのトラブルも重なって、食事の約束は直前で流れてしまうことも多かった。
「寺野さんとの食事が唯一の息抜きみたいなところもあって。すごく、楽しかったです。ありがとうございました」
「奥平さん」
「はい?」
喉まで出かかった言葉を、ギリギリでなんとか飲み込む。
「九州に行かれても、お体大事になさってください」
ええ、と奥平さんがうなずく。こっちに戻って来た時は、また食事に付き合ってください。そんなような言葉を交わして、私たちは別れた。人ごみに紛れていく奥平さんの背中を見送りながら、考える。
やっぱり言わなくて、よかったのかもしれない。
vol.4に続く
イラスト/日菜乃 編集/前田章子
こざわたまこ
1986年、福島県生まれ。2012年「僕の災い」で「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞しデビュー。2015年、同作を収録した連作短編集『負け逃げ』を刊行。近著に『教室のゴルディロックスゾーン』(小学館)がある。