こざわたまこ「さみしがりやの恐竜たち」 vol.2【web連載小説】

恋に仕事に、惑う世代の30代。

恋に仕事に、惑う世代の30代。その揺れ動く心を、旬の作家たちが描くCLASSY.ONLINE限定アンソロジー、第四回はこざわたまこさんの『さみしがりやの恐竜たち』。毎週水曜21時に公開します。

これまでのあらすじ

去年の夏に夫と別れた「私=寺野(てらの)」は会社の飲み会で、同僚の奥平(おくだいら)からラーメンを食べに行こうと誘われる。社内での評判もよく、自分と同じバツイチということもあり親しくなるが、「僕、こう見えて女の人からわりとモテるんですよ」と言われ…。

 歓迎会の帰り、会社の一群からそっと離れて、私たちは奥平さんおすすめの博多ラーメン屋の暖簾をくぐった。二人でラーメンを啜りながらあれこれ話し、その流れで奥平さんの住まいがどこかを尋ねてみると、私たちの生活圏は予想以上に近かった。気づかないうちにすれ違ったりしていたかもしれないですね、と言うと、お互い悪いことはできないですね、とどこまで本気かわからないような答えが返ってきた。それが冗談だと気づくのに、少し時間がかかった。
 途中、各停に乗り換えるという奥平さんに、じゃあ、と頭を下げると、奥平さんがすかさず、今日はありがとうございました、と手を差し出してきた。
「よかったら、今度また飲みにでもいきませんか」
 差し出された手の意味がわからず、奥平さんの顔と見比べる。
「僕は食べ歩きが趣味なんですけど。この辺りで一緒に飯を食いにいける人を探していたものだから。電車も同じみたいだし、ちょうどいいかな、と」
 寺野さんがよければ、と言われて、戸惑いつつもその手を握り返す。すると、奥平さんは突然、私の手をしげしげと観察し始めた。
「えっ、あの」
「寺野さんって、意外と手が小さいんですね」
恐竜みたいだ、と笑う。知ってます? ティラノサウルス、と言われて、昔観た有名なパニック映画のタイトルが頭に浮かんだ。あの映画に描かれていた恐竜は、たしかに不自然なくらい手足が小さかった、ような気がする。
「あ。だってほら、名前も」
 すぐには意味がわからず、しばらくしてから、あ、と思った。
「……テラノ、サウルス?」
 二人でぶっ、と噴き出す。親父ギャグもいいところだ。しかし、そのくだらなさがツボに入ったらしく、奥平さんはしばらくの間、くつくつと忍び笑いを漏らしていた。
「あー。ここ数年で、いちばん笑ったかもしれない」
 そう言って、目尻に滲んだ涙を拭い、ふふっ、と笑みをこぼした。それを見た瞬間、
 隕石。
 隕石だ、と思った。
 ああ、だめだ。この人を好きになったら、きっと後悔する。避けられないということ、逃れられないということ。誰かを好きになるということ。
 空から隕石が降ってくるみたいに。
 つまり、最初から絶滅する以外に道はない。

「……私、ずっと嘘を吐いてました」
 何回目かの食事の帰り道、意を決してそう切り出した。視界の隅で、奥平さんがいぶかしげな顔をしているのがわかる。
「最初に喋った時、食べるのが好きだって言いましたよね。でも本当は、さほどでもないんです。元々は、三食カップ麺でも平気なくらいの味オンチで。食事なんかいっつも適当だし。あ、いやだからその、こうして誘っていただけるのはありがたいくらいなんですが」
 なのですみません、と頭を下げると、奥平さんはぽかんと口を開けたまま、寺野さんは真面目だなあ、とつぶやいた。
「あー、いや。なんとなく、気づいていました」
 そりゃそうだ。会うたびに新しいお店を見つけてくる奥平さんと比べて、私は店にも出される料理にも興味がなさすぎる。ですよね、と苦笑いしていると、いや、それだけじゃなくて、と首を振る。
「ほら、歓迎会の時。寺野さん、すげー不味そうに食ってたでしょう」
 元だけ取れりゃいーやって感じで、と言われて、おぼろげな記憶をたどる。部長とやり合った後は、特にそうだったかもしれない。あれを見られていたのかと思うと、顔から火が出る思いだった。
「なんだかそれが、おかしくて。普段の寺野さんのイメージと全然違うんですもん。この人と、喋ってみたいなって。だからうれしかったですよ、誘いに乗ってくれて」
 寺野さんは一人でいるのが好きな人だと思ってたから。それを聞いて、そんな大層なものじゃないです、と首を振る。
「夫にも、よく言われてました。人一倍さみしがりやのくせに、人を遠ざけるよねって。実際そうなんだと思います」
 自分があまりにも最低な人間だから、と続けると、ええ? と奥平さんが笑う。
「そういう自分を知られたくなくて、わざと人との付き合いを避けてるんだと思う。それで夫にも、愛想尽かされちゃって」
「……そう言われたんですか?」
 いいえ、と首を振る。
「ただ、自分で自分を傷つけているみたいに見える、って」
 あなたは誰のことも好きじゃない。俺のことも自分のことも。元夫の言葉は、今でも胸に刺さっている。つまるところ私は、人付き合いにも人との関係を築き上げることにも、決定的に向いていないのだ。そのくせこうして人とのつながりは求めてしまうのだから、人間というのはややこしい。
「……ティラノサウルスみたいに、かっこよくいられたらよかったな」
 この歳になってこんな愚痴、恥ずかしいですよね、とつぶやくと、逆じゃないですか、と奥平さんが返した。
「必要があって自分を繕ってるってことでしょう。それってある程度、年齢を重ねたからできることで。僕からしたら、十分えらいですよ。恥ずかしいわけがない」
 自分のしてきたことを正面からえらいと言われたのは、随分久しぶりのような気がした。うれしかったはずなのに、物は言いようですね、と皮肉めいたことを口にしてしまう。奥平さんは特に気分を害した様子もなく、そういうのは得意なんです、と涼しい顔をしていた。
 そうだ、知ってます? と言われて、なんですか、と首を傾げる。
「ティラノサウルスっていうと、やっぱり孤高の存在って感じがするでしょう。でもそれって、映画や小説なんかで作られたイメージなんですよ。最近の研究では、ティラノサウルスも家族を作ったり、群れで生活していたかもしれない、なんて言われてるんです」
 だから恐竜の王様も、群れの中では案外さみしがりやだったのかもしれませんよ。奥平さんはそう言って、にこりと笑ってみせた。
「……それじゃあ」
 乗り換え駅に着いてすぐ、奥平さんはいつものように手を差し出した。奥平さんの手はどんな時もさらりとしていて、体温が低い。
 私も奥平さんも、会社での立ち振る舞いは心得ていた。だからこそ職場では、必要以上に親密さをアピールすることも、不自然に交流を断つこともしない。少なくとも私は、今の関係が崩れることは望んでいなかった。今まで積み上げてきたものを壊すのが、怖かった。多くを望んですべて失うくらいなら、友人のままでいいと思ったのだ。
 そう、私たちは友人だった。時たま食事をして、気兼ねなく話し、最後に握手をして別れるだけの友人。もしかしたらそれは、ある種の協定でもあったのかもしれない。これ以上踏み込まない、というルールをお互いに確認するための。
「寺野さん?」
 でも本当は、この一瞬が一分、一秒でもいいから延びればいいと思う。もう少しだけ。あとほんの少しだけ。
「あ。いえ」
 すみません、と手を離した。

vol.3に続く

イラスト/日菜乃 編集/前田章子

こざわたまこ

1986年、福島県生まれ。2012年「僕の災い」で「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞しデビュー。2015年、同作を収録した連作短編集『負け逃げ』を刊行。近著に『教室のゴルディロックスゾーン』(小学館)がある。

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