30代の揺れ動く心を、旬の作家たちが描くCLASSY.ONLINE限定アンソロジー。第四回はこざわたまこさんの『さみしがりやの恐竜たち』。毎週水曜21時に公開します。
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奥平(おくだいら)さんを好きになるということは、空から隕石が降ってくるようなことだった。
「災難でしたね」
年度の始めに行われた合同歓迎会の帰り道、かたまりになって駅に向かう社員の一群には交じる気になれず、彼らの後ろをつかず離れずで歩いていると、さらにその後ろを歩いていたらしい奥平さんから声をかけられた。
奥平さんは情シス課の人間で、実は同世代らしいけど、ちゃんと喋ったことはない。ただ、何かと後回しにされがちな経理関係の書類もきっちり期限を守って出してくれるので、うちの課の人間からはすこぶる評判がいい。元々は優秀なシステムエンジニアで、数年前に本社から異動してきたんだそうだ。
「……いえ。奥平さんこそ」
さっきはすみません、と頭を下げる。
久しぶりに参加した飲み会は、予想通り最悪だった。私は元々付き合いのいい方ではないし、ああいう場に馴染めないのはいつものことだ。最初こそ愛想笑いでしのいでいたものの、トイレから戻って来て早々、寺野(てらの)もさっさと新しい人探せよ、みたいな絡まれ方をしたのにはうんざりした。
『奥平なんかちょうどいいんじゃないのか。ほら、あいつ――』
部長が腰を浮かしかけたのを見て、結構です、と語気を強めた。
『バツイチ同士でどうとか、そういうの好きじゃないんで』
しん、と場が静まり返った。ああ、やってしまった、と気づいた時にはすでに遅く、気まずくなった雰囲気を誤魔化すように、烏龍ハイのおかわりを重ねた。
駅までの道を歩くうちに、ああいう会話って不毛ですよね、とつい本音が漏れた。まあそうですね、と苦笑まじりの相槌が聞こえる。
「会社の飲み会って、全然好きじゃないです」
酔いに任せて飲み会の文句なんて、三十越えてまでするような話じゃない。わかっていながら止められなかった。参加費だって高いわりに全然美味しくないし、とつぶやくと、
「寺野さんは、好きじゃないものが多いんですね」
と言われて、耳たぶの辺りがかっと熱くなった。自分の幼稚さを、たしなめられたような気がした。黙り込んでいると、僕も同じです、と奥平さんが続けた。
「じゃあ私たち、友達になれるかもしれませんね」
すねに傷を持つ者同士、と皮肉のつもりで口にしたその言葉に、奥平さんはぱちくりと目を瞬かせ、いいですね、それ、とつぶやいた。
「あの。この後、なんか食いにいきます?」
「え」
「近くに美味いラーメン屋があるんですよ。それとも、こういうのも“好きじゃない”ですか?」
「……食べるのは好きです、けど」
それはよかった、と言って、奥平さんがにっこり笑った。
去年の夏、六年に及ぶ結婚生活は突如終わりを告げた。夫が家を出て行ったのだ。
元夫は大学時代のゼミの同期で、十年来の友人でもあった。子どもができなかったとか、義両親とソリが合わなかったとか、様々な事情があったにせよ、どれも直接的な離婚理由とは言い難い。突き詰めるとすべての原因は私にある。夫は私と正反対の人好きのする性格で、最後まで私にもやさしかった。私は知らず知らずのうちに、そのことに甘えていたのだと思う。
もう二度と、同じあやまちを繰り返すつもりはなかった。
じゃあ再婚とかは考えてないんですか、と聞かれて答えに窮し、そっちこそどうなんですか、と返答を誤魔化す。奥平さんは難しい顔をして、うーんとうなり、テーブルナイフを皿の上に置いた。
「ゆくゆくは考えてもいいんでしょうけど。今は面倒ごとを避けたいって気持ちの方が大きいですね。正直女性不信気味、というか。寺野さんの前でこれを言うのもなんですが」
それを聞いて、奥平が離婚したのは嫁さんが外に男を作ったからだ、とかなんとか、部長が飲みの席でべらべら喋っていたことを思い出した。
「えーと、あとですね。こんなことを言ったら、嫌味に聞こえるでしょうけど」
そう言って、奥平さんがナプキンで口元を拭う。
「僕、こう見えて女の人からわりとモテるんですよ」
思わず水を噴き出しそうになる。げほげほとむせていると、大丈夫ですか、とふつうに心配されてしまった。ふざけているわけではないらしい。
「それで時々、困ったことになるんです。上のフロアに田山(たやま)さんっているでしょう」
たやまさん、とその名前をオウム返しする。奥平さんが口にしたのは、去年関西からうちの支社に異動してきた営業課の女性の名前だった。
「年末に、後輩の誘いで食事会に参加したんですね。よくあるじゃないですか、社内のグルメ好きで集まったグループ、みたいな。元々はそこに、彼女も来てたんですけど。何を勘違いしたのか、少し前から付き纏われるようになってしまって。この前も、二次会に来ないかってしつこくてですね。苦し紛れに別に誘ってる人がいるのでと伝えたら、やっと諦めてくれたものですから」
「……もしかして、私が担ぎ出されたのってそれが理由ですか?」
重ね重ね申し訳ない、とバツの悪そうな顔で奥平さんが頭を下げる。
「その時のゴタゴタが原因で、結局グループラインも退会するはめになっちゃって……あ、でも、今日寺野さんを誘ったのはそれだけが理由じゃないですよ」
単純に、寺野さんとご飯を食べるのが楽しかったから。奥平さんはそう言って、二杯目のワインに口をつけた。
vol.2に続く
イラスト/日菜乃 編集/前田章子
こざわたまこ
1986年、福島県生まれ。2012年「僕の災い」で「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞しデビュー。2015年、同作を収録した連作短編集『負け逃げ』を刊行。近著に『教室のゴルディロックスゾーン』(小学館)がある。