仕事も恋愛も人生の踊り場にいる30代。惑いの世代の揺れ動く心を旬の作家たちが描くアンソロジーを、CLASSY.ONLINE限定で毎週水曜に公開します。第二回は麻布競馬場さんの『独身の女王』。
これまでのあらすじ
都内で働く独身の”私”は、一人暮らしの自分のためにベッドのマットレス購入を検討中、崇拝していたインフルエンサーの倉田真季(くらたまき)の結婚を知り愕然とする。彼女は「独身のカリスマ」として知られ、愛用するネックレス(通称「独身ネックレス」)が流行するなど、社会現象になる存在だった。その後登録したマッチングアプリで、大学時代に憧れていた松島(まつしま)と再会するが、彼は社会へ出てから別人のようになってしまっていた。そのことにショックを受けつつも、いつしか誰かに勝手に期待をし、崇拝できる存在を探していた自分に気づき…。
「倉田真季の結婚どうなる!? 資産100億円御曹司のヤバすぎる『西麻布8股疑惑』。本人を直撃すると……【写真あり】」
そんな下世話な見出しのウェブ記事が私のスマホに表示されたのは、あれから半月後の、土曜日の午後のことだった。
寝室のマットレスに倒れ込み、覚悟を決めて開いたその記事によると、倉田真季の電撃結婚の相手である御曹司には何人もの遊び相手がいて、倉田真季は序列こそ上だったのだろうが、そのうちの一人にすぎないということだった。どうにかして、彼女の結婚を正しいものにしたくないというメディアの嫌らしい意図を感じてしまい、私は気分が悪くなった。
でも、もし記事の内容が正しくて、倉田真季がそれを知りながら結婚を決意していたとしたら?聡明な彼女のことだから、交際相手の隠し事にまったく気付かないなんてことはないだろうし、彼女はファンの心情に配慮してか、電撃結婚に関する報道については相変わらず一切触れることはなく、結婚に至る経緯について一切説明していなかった。彼女は何事もなかったかのように、メディアに出続け、YouTubeでも手の甲にリップを塗り続けていた。もしかすると彼女は、その決心の中身を、そして常人なら耐えられないほどの痛みを、涼やかな顔の奥に隠し持ったまま生きてゆくのだと、彼女なりの理由で決めたのかもしれない。
私はようやく、倉田真季の結婚を受け入れ、乗り越えつつあった。
何も説明してくれないのは寂しいけど、私が独身でいたのは、私がそうありたいと思ったからだ。「独身ネックレス」だって、倉田真季がつけていてかわいかった、という理由で買ったものではあったけど、今となっては単純にデザインが気に入っているから、彼女が結婚した今でもつけているのだ……そう信じようと、私は努力するようになった。そうすることで、私の人生も、そして倉田真季の人生も、間違ったものではなかったと信じられると思ったから。
誰かを「教祖様」にしたところで、その誰かが私の代わりに私の人生を生き、その苦しみを肩代わりしてくれるわけではない。悩みながら生きる中で刻まれる傷や痛みは、すべて私のものだ。ならせめて、自分の人生くらい、自分で生きなければと思う。倉田真季が、誰かのためではなく自分のために生きることを選び、批判の言葉をその白くて柔らかく、傷つきやすそうな肌に浴び続けながらも、彼女なりの幸せに向けて走り続けているように。
かつて憧れていた人たちが別人のように変わってしまい、もう二度と人生に寄り添ってくれないのは寂しいことだ。でも、彼らへの憧れのおかげで今の自分がいるのだし、その過程を温かく応援してくれたのだという事実は失われない。ずっと一緒にいられたらよかったけど、みんなそれぞれに自分の人生を生きている以上、別れはきっと避けられない。
だから私は、私のもとから走り去っていこうとする松島や倉田真季に対して、裏切られたことの悲しみではなく、一緒にいられた素晴らしい時間の思い出を花束にして贈ろうと思う。そうして、彼らの背中を見送ったら、私はたった一人で、私の人生を走ってゆく。その途中で、きっと私は懲りずに「教祖様」を見つけたり、また裏切られたりもしながら、不格好な軌跡で私だけの人生の輪郭を作ってゆくのだ。
このままずっと独身かもしれないし、どこかで素敵な相手を見つけて結婚するかもしれない。独身を貫けば、きっと「いつか寂しくなるよ」と言われ続けるだろうし、結婚したら結婚したで「どうせ結婚するなら早めにしとけばよかったのに」とか言われるだろう。そのたび私はムッとしてしまうだろうが、そういう世の中の当たり前みたいなものを無視した先に、私だけの人生の幸せがあるに違いない。
他人の意見に惑わされず自分の人生を生きる強さを、いつか見送った人たちの背中がきっと私に与えてくれるだろう。
「サイズですが、クイーンでお願いします。シングルでも、キングでもなく」
だから私はその日、寝具メーカーに電話してそう伝えた。私は行き遅れた可哀そうな独身じゃないし、別に王子様が迎えに来てくれなくても、今のところはやっていけている。私は堂々と、孤独なまま自分の人生に君臨する。その寂しさを受け入れられるくらいには、きっと私は大人になっているはずだ。そう自分自身に言い聞かせるように。いつか後悔してしまうかもしれないけど、その時は周りの目なんて気にせず、なりたい自分に変わればいい。私を置き去りにしていった人たちがそうしたように、私にだって、好き勝手に幸せになる権利があるのだから。
よく晴れた土曜の15時。南向きの部屋の窓からは、春の柔らかな日差しが存分に差し込んでいる。今夜は内幸町のお寿司屋さんを一人で予約していた。最近、こうして一人で高級なレストランに行くことが増えた。早めに出かけて、日比谷のミッドタウンでもブラついてみよう。私は迷うことなく、あのネックレスを手に取った。
Fin.
イラスト/日菜乃 編集/前田章子
麻布競馬場(あざぶけいばじょう)
1991年生まれ。会社員。覆面作家として投稿したX(旧Twitter)の小説が話題に。2022年9月に自らの投稿をまとめた短編集『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』で小説家デビュー。Amazonの文芸作品の売上ランキングで1位を取得する。2024年『令和元年の人生ゲーム』で第171回直木三十五賞候補に初ノミネート。