麻布競馬場「独身の女王」 vol.2【web連載小説】

惑いのある30代の恋愛を、旬の

惑いのある30代の恋愛を、旬の作家が描くCLASSY.ONLINE限定アンソロジー。毎週水曜21時に公開。第二回は麻布競馬場さんの『独身の女王』

これまでのあらすじ

都内で働く独身の”私”は、一人暮らしの自分のためにベッドのマットレス購入を検討中、崇拝していたインフルエンサーの倉田真季(くらたまき)の結婚を知り愕然とする。彼女は「独身のカリスマ」として知られ、愛用するネックレス(通称「独身ネックレス」)が流行するなど、社会現象になる存在だった。翌週、大学時代の友人である祐子(ゆうこ)とランチをするが、そこでも倉田真季の結婚が話題になり…。

「婚活ねぇ」と、私はため息まじりに呟く。その選択肢は、祐子に言われなくともここ数日、私の頭を何度もよぎっていた。

もちろん、倉田真季がああ言っていたから独身を貫いていたわけではない。事実、私は何人かの男性と付き合い、相手が住んでいた八丁堀のタワーマンションで同棲したり、相手の両親とコンラッドのレストランで顔合わせを兼ねて食事をしたりと、結婚に向けた準備運動みたいなことを何度も経験していた。

しかし、そのうちの誰とも結婚に至ることはなかった。充実した仕事とそれなりの給料があり、アフヌン巡りやマシンピラティスといった趣味もある。数年前に買った不動前のヴィンテージマンションの1LDKには、ダイニングテーブルからマグカップまで、すべて時間をかけて選んだお気に入りのものばかりが存在している。そういう、一人きりでの生活に私は十分すぎる魅力を感じていて、それを放り出すほどの魅力を、他の誰かとの新しい生活に見出せなかったのだ。

唯一の心残りといえば、社会人になって一人暮らしを始めるときに適当に買ったものを未だに使い続けている安いマットレスくらいなものだったし、最近は軋むような耳障りな音を発するようになっていたそれも、この春に昇進したお祝いを名目に買い替えるつもりだった。例のサイズ問題が沸き起こったせいで、今は宙ぶらりんになってしまっていたけど。

「ずっと言ってるけど、理想が高すぎるっていうか、自分が好きすぎるんじゃない?一生孤独なままでいいの?急に寂しくなるかもしれないよ? 30過ぎた女はお姫様じゃないんだから、待ってたところで王子様は迎えに来てくれないよ?」

そんな厄介な背景を知る祐子は、今日もそうであるように、いつもそうやって私のことを本気で心配してくれる。新社会人の頃までは私と一緒に遊び惚けていたが、「出産のこととか考えると、やっぱり早いうちに結婚しておかないと取り返しがつかなくなる」と気付いてから婚活を始め、見事にゴールインを果たした彼女からすれば、きっと、過去の彼女自身を見ているような気分になるのだろう。

「結婚したからって全員がうまくいくとは限らないし、家庭内で孤独を感じるって話もよく聞くじゃん。結婚は万能な解決法じゃなくて、人の数だけ人生の最適解みたいなものがあるんだよ、きっと。もちろん、祐子は結婚に向いていたんだろうし、幸せそうで羨ましいなとは思うけど。ほら、私の場合は仕事が忙しいから、少なくとも当面は寂しい思いをしなくて済みそうだし」

祐子からそんな心配をされるたび、私の言い訳はどんどん上達し、今となっては彼女を傷つけることなくこの手の話題を早急に終了させる術を身につけていた。

そして、それは単なる自己肯定のための嘘ではなかった。このままでは私は、今の暮らしを愛しすぎているがゆえに、誰とも結婚できないかもしれない。でも、今はそれでいいと思う。偉そうだ、呑気すぎる、とか言われるかもしれないが、この素晴らしい生活を捨ててでも一緒にいたい誰かが現れるまで、このままでいいと思っている。

しかし、それでも時折、どうしても不安になることがある。祐子の言う通り、今はいいけど、将来は?もし突然、40代や50代になって結婚したくなったり、子供が欲しくなったりしたら、取り返しがつかないんじゃないか? とりあえず、「普通の人々」と同じように結婚しておいたほうが、「普通の人々」と同じように幸せになれるんじゃないか?……

しかし、今になって婚活を始めることは、何だかこれまでの私の人生を否定することであるような気がして、腰が重かった。それに、独身でいたことも、独身をやめようとしていることもすべて倉田真季任せで決めるのだとしたら、私はあまりに人生を無責任に生きていると認めるようなものだ。マットレスだって、早くサイズを決めないと永遠に納品されない。人生について真剣に考える時期が突如として訪れたものの、答えはすぐに出ないだろう。ずっと考え込んでいるうちに、答えが出ないまま死んでしまうんじゃないか― そんな恐怖が、足元からヒタヒタと這い上がってくるようだった。

祐子も、普段であればそれ以上深追いしてくることはなかったが、今日は違った。倉田真季の結婚が、きっと親友である私に深刻なダメージを与えていて、彼女が最善だと信じるケアの方法を伝授しなければ、と焦ってくれていたのかもしれない。

「とりあえず、マッチングアプリでもいいから始めてみたら? 週末の予定なんて、どうせピラティスくらいなもんでしょ。ほら、いつか気が変わったときのための男選びのトレーニングになるかもしれないし。転職面談とかやってるんだったら、初対面の人と会って話すのも得意でしょ?」

そんな、彼女の優しさに押し切られてしまったのだろう。私は祐子に手取り足取り教えられ、彼女が夫と出会ったというマッチングアプリに登録してしまった。プロフィール用の写真も、祐子がその場で撮ってくれると言うので、なんとなく、「独身ネックレス」は外して撮った。

「しかし、学生の頃のだらしない姿が思い出せないくらい、すっかりバリキャリ女子になっちゃったね。松島(まつしま)が見たらビックリするんじゃない?」

写真を確認しながら祐子がそう言った。松島、という久しく聞いていなかった名前に、私は胸の奥底に、心地よい痛みとともに懐かしさが広がっていくのを感じた。

vol.3に続く

イラスト/日菜乃 編集/前田章子

麻布競馬場(あざぶけいばじょう)

1991年生まれ。会社員。覆面作家として投稿したX(旧Twitter)の小説が話題に。2022年9月に自らの投稿をまとめた短編集『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』で小説家デビュー。Amazonの文芸作品の売上ランキングで1位を取得する。2024年『令和元年の人生ゲーム』で第171回直木三十五賞候補に初ノミネート。

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