【CLASSY.新連載を特別公開】吉川トリコ「つぶれた苺を食べること」【第二話 ディストピア愛知に生まれて vol.3】

『CLASSY.』2024年1月号からスタートした、吉川トリコさんによる連載小説『つぶれた苺を食べること』。今月も特別に内容を公開します。

- あらすじ -

五年前、イチゴ狩りツアーで出会ったムニ、桐子、映奈の三人。年齢も職業も異なる三人だが、付かず離れずの関係で「いちご会」と称した集まりを定期的に催している。ある日の集まりで、独身のムニが「子どもを産もうと思っている」と二人に告げ…。

結婚式場の下見に行った日の帰り

結婚式場の下見に行った日の帰り、途中の駅で彼と別れ、東西線に乗り換えたムニは、向かいの座席に座る自分と同年代の女に気をひかれた。この世の不幸をすべて背負ったような顔をして、憂鬱そうに足元に目を落としている。その膝の上に「ゼクシィ」が置かれているのを見つけ、ムニはぎょっとした。書店のビニール袋から透けて見えるあのピンクのタイトルロゴを見まちがえるはずもなかった。ある種の女たちにとって、あのタイトルロゴは勝者の証である。しかし、この女の浮かない顔ときたらどうしたわけだろう。
そのとき、ムニは気づいてしまったのである。おそらく自分もいま、同じ顔をしているということに。結婚なんかぜんぜんしたくない。少なくともさっきまでいっしょにいた男とは――。

翌日、ムニは相手の男を呼び出して「あなたとは結婚できません」と告げた。相手の男は激昂するわけでも愁嘆するわけでもなく、「いつか、そう言われる気がしていました」と力なく笑った。罵られたり恨み言を吐かれたりするだろうとあらかじめシミュレーションしていたが、このパターンは想定しておらず、ムニは罪悪感にうちのめされた。
その「ゼクシィ」事変について二人に話してみたところ、「結局それって相手の問題じゃなくて自分の問題じゃないの?」と桐子には言われた。まさしくそのとおりで、なんの反論もできなかった。

「なんでわざわざ結婚なんてしようと思うのかわかんない。たるいだけじゃん」パートナーシップそのものに懐疑的で、つねにフリーでいたいと主張する映奈にいたってはこのとおりである。一連の反省から、ここしばらくムニはアプリにも触れずだれともマッチングせずに、バスツアーでムニのポケットに苺を放り込んだいたずら男の将大(まさひろ)とだけたまに会って、将大の部屋で将大がゲームをしているのを眺めているか、ムニの部屋でムニの作った料理を食べながら配信の映画を観るぐらいだった。
「だから言ったろ?婚活なんて必要ないじゃん。俺がいるんだからさ」はじめて出会った頃は大学生だった将大も、もう二十六歳である。

卒業後、通信系の企業に就職したものの一年ともたずに辞め、現在はライブ配信の投げ銭で食いつないでいる。なんの配信をしているのか、そんなもので食っていけるのか、将来はどうするのかと訊ねても、「んー、ゲーム実況とか?」「そんな稼げるわけじゃないけど、まあぼちぼち」「将来はプロのゲーマーにでもなるかな」などといいかげんなものである。「あんたがいたからって、私の人生にはなんのプラスにもならないよ」と口では言いながら、こちらに向かって伸びてくる手をムニはふりはらえない。将大を前にすると、安定を求める愛知の女としての保守の心と、いつまでも若い男と気楽に気軽に遊んでいたいという剥き出しの本能とに引き裂かれそうになる。

このままではいけない。三十四歳を迎えたその日、自分への誕生日プレゼントに買ったものの帰宅途中につぶしてしまった苺を食べながら、改めてムニは自分の年齢にはっとした。三十四歳。リミットにはまだ多少の猶予があるとはいえ、このままだと確実に「マルコウ」になる。この先、婚活を再開したとしてもなにかが成就するというビジョンがまったく描けなかったし、将大との不毛な関係にもなにかしらの芽が出るとは思えなかった。

一人で子どもを産んで育てる。
だからどうしてそうなるのか、途中の数式をすっとばしていきなり答えが出てしまったかんじなのだが、でももうこれしかないという気持ちにムニはなっていた。また話を流されたり忘れられたりしてもかなわないから、桐子と映奈にはLINEで再度伝えようと、【一人で子どもを産】までムニが打ち込んだとき、するりと滑り込むように桐子からのメッセージが差し込まれた。【夫に子どもができた】文字を打つ手を止め、ムニはしばし考え込んだ。

わざわざ【夫に】と頭につける時点で、そこに桐子がかかわっていないという不穏なニュアンスが醸される。【夫に女ができた】とか【夫がよその女を孕(はら)ませた】とかいった情緒のかけらもない表現ではなく、この表現をえらぶ桐子をやはり作家だなとムニは思い、途中まで打ち込んだ文字列をすぐに消去して、【くわしくきかせて?】と送信した。

イラスト/松下さちこ 再構成/Bravoworks.Inc

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