【CLASSY.新連載を特別公開】吉川トリコ「つぶれた苺を食べること」【第一話 いちご会 vol.3】

『CLASSY.』2024年1月号からスタートした、吉川トリコさんによる連載小説『つぶれた苺を食べること』。今月は特別に第1話の内容を3日連続でCLASSY.ONLINE限定にて配信しています。

「あのときもそうだったよね」眼

「あのときもそうだったよね」眼鏡の奥の細い目をさらに細め、桐子がつぶれた苺をかじった。「イチゴ狩りツアーの帰りのバスで、盗んできた苺をつぶして大惨事」にやにや笑いながら映奈も苺に手を伸ばす。「人聞きの悪いこと言わないでよ。盗んだんじゃなくて、いたずらされたの!」「ポケットにこっそり苺を入れられたんだっけ?あのときムニが連れてた男、ろくなやつじゃなかったよね」「よく言う。桐オンニの連れだって、アホみたいに練乳使いまくってて最悪だったじゃん。せっかく六品種も食べくらべできたのに、あれじゃ練乳の味しかしない」「映奈が連れてた男なんて、果糖は太るとかなんとか言ってろくすっぽ食べてもなかったでしょ。なんのためにイチゴ狩りツアーに参加したんだか。まあ、見てくれだけはモデルみたいにシュッとしてたけど……」言い争う二人の様子を眺めながら、ムニもつぶれた苺をつまんだ。桐子の買ってきた苺にくらべたらずいぶんと控えめな甘さだったが、ムニの好みにはあっている。

五年前の春、新宿発着の「山梨イチゴ狩りバスツアー」で三人は出会った。それぞれ当時つきあっていたり関係があったりした男と参加していたのだが、苺に目がない女たちとは対照的に、男たちの苺の扱いといったら酷いもので、いまもこのように語り草になっている。

朝早くから新宿に集まり、バスに揺られてたどりついた山梨のハウスで詰め込めるだけ苺を詰め込んだ帰りに立ち寄った山梨のワイナリーで、今度はワインを試飲しまくった。女たちは朝昼晩三食すべて苺でもかまわないというほど苺に目がなかったが、それと同じぐらいワインにも目がなかった。その時点ですでに限界がきていたのだろう。曲がりくねった山道をバスに揺られているうちに、女たちの胃がかきまぜられ、ムニのポケットの中でつぶれた苺が甘いにおいを発しはじめた。それは、空腹時にはどんな高価な香水よりも女たちをうっとりさせる芳香だったが、胃の中のものが喉元までせりあがってきそうな状況にあっては、ぜったいに押してはならないスイッチの役割を果たした。

「うっ」と桐子が低くつぶやいて、液体状のものをぴゅっと吐き出した。バスのシートや床が一瞬にして赤く染まった。すぐ近くに座っていたムニと映奈にもすぐにそれは伝播(でんぱ)して、あちこちでぴゅっ、ぴゅっと赤い噴水が発生した。もらいゲロはもらいゲロを呼ぶ。あわやパンデミック発生か。バスの中はたちまちパニックに陥り、ゾンビ映画の様相を呈した。「地獄だった」とあの日をふりかえって女たちは語る。「でも、最高が待ってた」とも。

新宿でバスを降りると、男たちと他のツアー参加客はほうほうのていで逃げ出していき、その場に三人が残された。胃の中のものを吐き出して、妙にすっきりした気分だった三人は意気投合し、「いいとこ知ってる」という映奈に連れられ新宿のワインバーへとくりだした。泡からはじめて白ロゼ赤とさんざん飲み散らかしたあと、やはり「いいとこ知ってる」という桐子の案内で夜遅くまでやっているフルーツパーラーをはしごし、苺のパフェでその日を締めくくった。以来、「いちご会」と映奈が名づけた女三人の友情は、年齢差や収入格差、遠く離れた居住地区、社会的地位や価値観の相違、さらにはコロナ禍を乗り越えていまもこうして続いている。それぞれがそのとき連れていた男とはそれきりすっぱり縁が切れた――わけではなく、ムニのポケットに苺をしのばせたいたずら男とムニはなんだかんだでいまも連絡を取り合っているし、果糖忌避男と映奈はいまもたまにセックスする関係で、桐子にいたっては練乳男と結婚までした。

「いまだに信じられないよ、桐オンニともあろう人があんな練乳野郎と結婚するなんて」これまでに百遍ぐらいくりかえしたことを今夜も映奈はしつこく言っている。いつもなら、「男なんてつぶれた苺みたいなものだよ」と大人の余裕でかわすはずの桐子は、なぜか今夜にかぎっては、「なんだか人生ってかんじ、する」つぶれた苺をしげしげと眺めながらつぶやいた。

「なにが?」上半身をほとんどベッドに預けるような体勢で、映奈がとろりとした目をあげた。「つぶれた苺をいじいじといじましく食べるようなこと」かわりにムニが答え、ちいさく身震いした。窓から入ってきた風がすうっと首筋をかすめていったのだ。「さっきからなんか寒いと思ったら、だれよ、窓開けっぱなしにして」桐子のかすれた声と甘酸っぱい苺の香りが、十二月のかわいた風にさらわれていく。桐子の声がほとんど泣き声だったことに、だからムニも映奈も気づかなかった。左手の薬指に結婚指輪が嵌まっていないことにも。「これぐらいで寒いとか言っててどうするの、ソウルなんて十一月の時点でこれよりもっと寒かったのに(チュウォンヌンデ)」意味不明のマウントを映奈が取りはじめたので、そろそろタクシー呼んだら?とムニが促し、その日はおひらきとなった。

イラスト/松下さちこ 再構成/Bravoworks.Inc

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