四月、大学時代に親しかった後輩の結婚式に参列した。二十歳を過ぎた頃は二人でくだらない遊びばかりをしていたが、数年ぶりに会った彼は新郎としてとてもしっかりしていて、あいつもちゃんと大人になったのだと親心のような気持ちでその姿を見ていた。
披露宴は終始和やかな空気に包まれ、あっという間に終わった。新郎新婦がゲストを一人ずつ見送っていく際、二人にどんな言葉をかけようかと悩んでみたが、やはり「おめでとう」以外は出てこないから、それを伝えた。
後輩は当時と変わらぬ笑顔で「今度、釣りでも行きましょうよ」と言って、私も「いいね、それ!」と返した。
そして先日。後輩と私は、釣り船の上で熱中症寸前になっていた。
社交辞令だと思った「釣りでも行きましょうよ」は、まさかの本気度100パーセントだった。
「茅ヶ崎に釣り宿があるので、そこにしましょう」そう連絡が来たかと思うと、あれよあれよと日程調整が行われ、すぐに当日を迎えていた。集合は朝5時40分だった。車を走らせて現地に向かうと、日の出を迎えたばかりの8月の太陽が全力で私たちを殴りに来ていた。波は穏やかではあったが、これは過酷な旅になると誰もが予感した。
「船釣りって、何時間くらいするものなの?」
「あー、昼過ぎには帰ってこれると思いますよ?」
まだ六時前だった。軽く見積もって六時間は船上にいなければいけないことを知った。案内された船を見てみれば、想像できる限り最も平凡な船体が浮かんでいた。船内には冷房器具どころかサンシェードすらなかった。
六時過ぎ。その漁船に乗り、私たちは海に出た。幸い貸し切り状態であり、他のお客さんに気を遣わずに、後輩と話すことができた。このまま昔話に花を咲かせながらのんびりと釣りを楽しむのなら、六時間もなんとか耐えられるかも、と思い始めた頃だった。
操縦席で舵を取る、船長が言った。
「喋ってないで、立って竿、持つ!」
火事でも起きたかと思うほどの大声だった。もしかして、漁師に弟子入りでもしてしまったのか?私たちは慌てて立ち上がり、竿を握り締めた。
「そんなボケッとよそ見してたら一生釣れないよ!?」
「あー遅い!遅いよ!食われてるよ、今ので!」
後輩が送ってくれた釣り宿のWEBサイトには「ファミリー歓迎!手ぶらで海釣りを楽しめます♪」みたいなことが、確かに書かれていた。しかし、実際に船に乗った私は、高校時代の部活以来の怒られっぷりで、叱られ続けていた。
「ダメだってそんなんじゃ!ライン(釣り糸のことです)絡まっちゃうって!弁償だよ弁償!」
「ハイッ!」
「あー、そんなグズグズしてたら魚いなくなっちゃうよ!早く入れる!」
「ハイッ!」
その日の最高気温は35度近かったと、あとからニュースで知った。後輩と私は激しい頭痛に襲われており、熱中症の怖さを体感していた。
しかし、そんな船長の熱すぎる指導のおかげで、私たちはそれぞれ15匹近いアジやサバを釣り上げることができていた。7時間弱の長く苦しい戦いではあったが、その釣果には大変満足することができた。
沖から帰ろうとする直前、船長が操縦席から降りてきて言った。
「ホームページ用に、写真撮らせてもらっていいですか?」
それが初めての敬語だった。順番がバラバラすぎると思った。船長はセルフタイマーを設定し、写真を撮った。
さきほどサイトを確認したら、私たちには一度も見せてくれなかった笑顔の船長が、その釣り宿のサイトに載っていた。
『今回も愉快に楽しく釣れました!』
私たちが乗ったのは別の船だったのだろうか?
戸惑うが、確かにその写真には疲れ果てた私たちも一緒に写っていた。
この記事を書いたのは…カツセマサヒコ
1986年、東京都生まれ。デビュー小説『明け方の若者たち』(幻冬舎)が大ヒットを記録し、2021年12月に映画化。二作目となる小説『夜行秘密』(双葉社)も発売中。
イラスト/あおのこ 再構成/Bravoworks.Inc