withコロナ時代に少しずつ活気を取り戻しつつあるエンタメ業界。『宝塚歌劇』もその影響を受けつつ、出演者とファンの熱い思いにより連日公演を続けています。この機会に宝塚デビューしたい!というCLASSY.読者の方に、ヅカファン歴20年の編集Mがその魅力を好き勝手にご紹介します。
今回は、編集Mが今もっとも愛してやまない娘役スター・華優希(はなゆうき)さんについて。7/4をもって宝塚を卒業する華さんへ、惜別と敬意をこめて、超個人的な思いの丈を存分に書き連ねたいと思います。
5月10日、花組トップスター娘役・華優希さんが、本拠地である宝塚大劇場を卒業しました。緊急事態宣言下、4月に公演が中止されていたなかで、一日だけの無観客配信ライブという、トップスターの退団公演としては異例の出来事でした。多くのファンが嘆く中、その悲しみを吹き飛ばすかのように、華さんをはじめ花組生たち全員が一丸となり、無観客であることを忘れるほど凄まじい集中力と熱量で、素晴らしい舞台を届けてくれました。
そして5月末から始まった東京宝塚劇場での公演が、いよいよ後半戦に突入しました。コロナ禍という未曽有の時期でもなおひたむきに前を向いている彼女について、ゆっくり振り返っていきたいと思います。
「かすみ草」のような娘役像を貫いた令和の北島マヤ
華優希さん。100期生の花組娘役。天性の愛らしさと、類まれな表現力をもったお芝居が最大の魅力でした。華さんのお芝居は人の心に希望をもたらす、と感じたことがあります。それは彼女が、役を通じて、常に私たちを新しい世界へ導いてくれるからではないかと思います。初めての演目を観劇するとき、登場人物は必ず初対面の誰かですが、華さんが演じるといつも完璧な世界観がそこにありました。だからなんの説明がなくても、ガツンと物語に引きずり込まれ、そこに広がる世界の「絵」を頭のなかに描くことができる。先月行われた華さんのミュージックサロン「華詩集」で、あらゆる役を表現する彼女を見て痛感しました。本来、それは場数を重ねたベテラン俳優さんを見るときに感じることが多いのですが、華さんはあの若さでそれを実現させてしまっていました。その表現力、奥深さ、芝居を超えその人としてそこに「居る」事実は、彼女が天才だから、というよりほかに、理由が見つかりません。もちろん持って生まれた賢さ、思慮深さ、感受性の豊かさが根本にあるのだと思いますが、それをまた的確に表現できる声の美しさ、居ずまいの正しさ、にじみ出る品の良さは、天から与えられた才能であり、それを惜しみなく舞台で表せるのもまた、彼女の天賦の才と、ひたむきに努力できるというまた別の才能を併せ持っているからなのだと感じます。
「怖がりで、そのくせ頑固」。華さんは大劇場最後の日のあいさつで、ご自身をそう表現しました。意外なようで、なんだかわかる気もしました。あの完璧な世界を作るには、あらゆることを綿密に考え続けなければならないし、臆病で慎重な性格でなければ、役の隅々まで目を向けることはできないのではと思います。そして同じくらい頑固でなければ、自分の芝居を貫くこともできなかったのではないか、とも思います。華さんのお芝居は人を引き込みながらも押しつけがましくなく、むしろ弱い立場の誰かに寄り添うことができる優しいお芝居でした。彼女が役を通して発する言葉は、いつも一生懸命で、まっすぐで、強者に屈さず弱者の声を拾い上げていました。数字、技術、目を引くキャッチーさばかりが取り沙汰される昨今のショービジネスの世界で、その優しさを貫き通すことがどれほど難しかったか。弱さを知る人間は本当は強いのだと、彼女を見ているといつも気づかされました。
ですが宝塚という男役主義の世界で、華さんのお芝居が今ここまで輝いたのは、もう一つ奇跡があったからです。それが、相手役・柚香光さんとの出会いでした。
柚香光さんとの抜群のコンビネーション
土から掘り起こしてそこに絶対の世界を築き上げるのが華さんのお芝居なら、どんな世界にも突然、光とともに飛び込んでくるのが柚香さんのお芝居だと思います。揺るがない大地に対し、変幻自在に飛び回る風のようだ、とお二人の芝居を見ていると感じました。大地は風に揺らされてその形を少しずつ変えることができるし、風はどんなに動いても揺らがない大地があるから、自分を見失わず飛び回れる。そういうお芝居だと、思っていました。二人のお芝居は感性の芸術、と以前書きましたが、この関係性がどんな物語にでも驚くほど当てはまり、それは一見逆のように見える性格の役だったとしても、やはり、柚香さんの自由な表現を華さんがしっかりと受け止め、華さんの力強い思いを、柚香さんが優しく抱きとめるような二人だったように思います。それは一つの自然の摂理でした。宝塚という現実にはない夢の世界で、それでも柚香さんと華さんのお芝居にいつも真実味があったのは、まさにこうした真理が二人の間にあったからではないかと思います。
大劇場のサヨナラショーで見た柚香さんと華さんの絆の強さ、お互いへの愛情の深さは、モニター越しでもなお、痛いほど伝わってきました。あまりに幸せそうな二人の姿に、何度も自然と涙が溢れました。それが華さんだけいなくなってしまうためのセレモニーであることがまったく信じられず、華さんだけが袴で登場し、銀橋をほかの退団者の方たちと渡った時、私はようやく現実に気づいたように思いました。それくらい、二人の世界は「絶対」でした。柚香さんが華さんの手をとって、華さんが笑顔であとをついていくことが、まるでこの先も当然続いていくようにしか見えませんでした。世界が終わっても一緒に笑っていそうな二人が、世界がまだ終わらないのになぜ離れるのか、私はおそらく一生理解できることはないのだろうと思います。世の中にはそういうこともあるのだと。
華さん卒業後の未来に思うこと
変わらないものはありません。だから柚香さんと華さんのトップコンビは、今回の作品をもって終わりを告げます。でも、やはり変わらないものはないのだから、いつかもう一度世界が変わって、柚香さんと華さんが再び舞台上や別のどこかで出会ってほしい。今はひたすら、お二人のファンとして、それを強く願っています。
前述した華さんのミュージックサロン「華詩集」では、ジブリの名作『ハウルの動く城』の曲で踊る場面がありました。くしくもこの作品は「柚香さんにハウルを演じてほしい」と、ファンからも組内からも声があがっているもので、今はまだ舞台化されていませんが、いつの日か、どこかの舞台で、柚香さんと華さんによって上演してもらいたい。そう切実に思います。もちろんほかの作品でも、女性同士の役でもいい。役者もキャラクターも性別という概念が薄れてきている現代、シスターフッドという言葉が注目を浴びる現代で、こう願うことは、もはや夢物語ではないように感じます。もちろんお二人が望むならという話ですが、こうして未来に希望を託したくなるくらい、柚香さんと華さんのお芝居がこれきり見られなくなってしまうのは、一ファンとしてあまりに耐え難い損失でした。どんな作品でも、突き詰めたお稽古で不朽の名作にしてしまう力が、二人にはありました。もっともっと二人の世界で、誰かを救ってほしかった。あの多幸感、共感性は、どこか心に孤独を抱えるすべての現代人が、欲しくてたまらない究極の理想だと思うからです。
現在上演中の退団公演『アウグストゥス―尊厳ある者―』で、華さん演じるポンペイアは、最後「終わらない祈り」として柚香さん演じるオクタヴィウスの心に宿ります。それはこれからも、華さんが柚香さんの中に消えずに留まることの暗示ではないかと思います。オクタヴィウスはまだ見ぬ、誰も知らない理想の国へと歩き出しますが、それがいつか、宝塚の域を飛び越えて、柚香さんと華さんにしか表現しえない美しい場所であってほしい。コロナ禍という前代未聞の事態を、真正面から乗り越えてきた二人ですが、同時に私たちファンもまた、同じ苦しみを乗り越えてきたからこそ、この未来を待ち続けることはさほど難しくないように思います。
もしもそれが実現できた時、宝塚という夢の世界が夢ではなかったこと、男役と女役という概念が、真実であったこと、小林一三先生が思い描いた宝塚少女歌劇の真髄を、再び目にすることができるのではないか。今はただ、神殿で贖罪の日を送るポンペイアのように、その日がくることを静かに祈っていようと思います。
以上、ヅカオタ編集Mによる、華優希さん語りでした。7/4の千秋楽はライブ配信も予定されているので、ぜひ宝塚歌劇団公式サイトをチェックしてみてくださいね。
そもそも宝塚歌劇団とは?
花、月、雪、星、宙(そら)組と、専科から成る女性だけによる歌劇団。男性役を演じる「男役」と女性役を演じる「娘役」がおり、各組のトップスターが毎公演の主役を務める。兵庫県宝塚市と千代田区有楽町にそれぞれ劇場があるほか、小劇場や地方都市の劇場でも年に数回公演をおこなう。
公式サイト:https://kageki.hankyu.co.jp/
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