【OLからの転職】ブティック販売員から、ミスユニバースディレクターのアシスタントとなった浅倉さんの場合。
新卒の就活は「こうあるべき」とイメージにとらわれがち。でも実際に社会に出て、いろいろな大人と出会い、自分の将来像が改めて描けるようになったりするものです。今回は33歳当時OLからその後フリーランスになるきっかけとなっ転職についての32歳当時のストーリーを伺います。この転職を経て、彼女の座右の銘は、NIKEの〝Just do it”になったといいます。
コネクションや特別な出合いがなくても、すべて自分で切り開く
現在はアメリカ人のご主人と結婚し2児の母としての生活をベースにワークショップ開催など、食・住のコーディネートを仕事にする浅倉さん。今回は、独身時代のパワフルで華麗な転職についての話を伺いました。
「当時、知花くららさん、森理世さんなど、ミス・ユニバース・ジャパンが世界で活躍するようになり、その指導者であるナショナル・ディレクターのイネス・リグロンが注目を浴びていました。テレビで初めて知ったイネスから、ものすごくアグレッシブなオーラを感じました。外見より内面から女性を変えていく手法を間近で学びたい、イネスの下で働きたい、と思うように。その頃、私はエルメス銀座店で販売員として過ごす日々。担当はプレタポルテ、世界を股にかけて活躍するお客様が多くいらっしゃいました。お話は刺激的で、接客を通して世界の広さを知るうちに、私も自分自身で世界を見たい、知りたい、という気持ちが芽生えていたんだと思いす。そうとなったら狙いを定めて行動するタイプ。一年後に応募する、と決めて、英語を徹底的に勉強。英語力は販売時に使う程度だったので、できることはすべてやりました。最初はベルリッツにも通いました。帰国子女の友人に連絡を取り外国人の友人も作りました。1年後、いざ門を叩こうとしましたが、事務局での募集はありません。イネスの下で働きたいという人はとても多く、事務局に履歴書を送っても返信はない、という噂も。「イネスと繋がっていませんか?」と聞き続け、ようやくイネスの夫の友達の友達という人 に辿り着きました。「絶対に読んでもらえるように渡してほしい」と頼み、幸運にも願いは叶いました。突然イネス本人から連絡があり面接は彼女の自宅のキッチン。「志望理由を言ってみて。〝簡潔に〟」と言われました。「ここでダラダラ喋ったら落とされる」と心臓はバクバク。顔は平静を装い、「私はあなたのサポートを日本一完璧にできる。なぜならトップブランドでトップのコミュニケーションをしているから」というようなことを強気に話したと思います。彼女の返事は「I like it.」、合格でした。アシスタントはたった1人、すべての仕事のサポートはとても過酷を極め、たった1年でしたが濃厚すぎて忘れられない日々。ミス・ユニバースのファイナリストたちへの教えを学べることはもちろん、イネスの情熱や生きる姿勢を間近で見られる貴重な期間でした。彼女から学んだいちばんのことは努力をすることの意義でした。」
転職するまで、転職してから
撮影/183 杉本大希(zecca) 取材・文/嶺村真由子
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